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朝が待ち遠しい病 [日記]

私は夜型人間だ。
小さい頃から、寝起きはとっても悪かった。
夜更かしが大好き。
夜、起きていると、無限に時間があるように錯覚する。
自由な時間がいくらでもあるような。
少しくらい睡眠時間が短くても、
夜に自由な時間を好きなだけ過ごす方が心地よい。


そんな私が、大人になって、
夜がこわくなった。
自由な時間ばかりで、自由は好きなのに、
自由が悲しくなる。
自分には自由以外何もない。


早く明日にならないかなぁ~。
明日になれば、きっと、何かが待っている。


ここ1ヶ月ほど、どんなに遅くに寝ても、
5時に目が覚めるようになった。
2時に寝ても、3時に寝ても、3時半に寝ても。
どうしてかはわからない。
でも、私の中で、明日が楽しみで仕方がないのは確か。


これは、きっと明日が待ち遠しい病なのだ。
いつのまにか夜が嫌いになった私の病気。
夜には何にも生まれないけど、
朝には希望が生まれるんだよ。


2時間くらいしか寝てなくったって、
私にはしあわせな今日が待っている。
夜の涙は乾かして、今日もあなたに逢いにいく。  つづく


今日はDVD撮影なのに、ほとんど寝てないな、私・・・・・・(独り言)


エビフライ5 [日記]

エビフライって好きですか?
よく食べますか?
たまに食べますか?
最後にはやっぱり選ばないですか?


嫉妬は世界一醜い感情だ。
カレーライスになんか嫉妬はしないって決めてみても、
やっぱり自分に自信がなくて、
エビフライなんか食べてもらえない気がして、
たまにだって食べてもらえない気がして、
自分がなぜエビフライなんかになっちゃったのか、
悩んだり悔やんだりもしたけど、
でも、仲間のエビフライとふたりで寄り添ったり、
ハンバーグと手をつないだりしながら、
嫉妬も覚え、
エビフライとしての気持ちを強く強く持ち、
自信をつけてきたんだよね。
自分らしく、自分らしくって。
ただただ最高に美味しいエビフライを目指して。


賞味期限という言葉を知っていますか?


食べられなくなる消費期限とはちょっと違う、
1番美味しく食べられる期限。
美味しいのは今かもしれないと、
なんとなく意識して、
次に出逢う人に食べてもらわなければならないと少し焦り、
結果、賞味されることに、臆病になる。
もう美味しい期間は終わってる???


自分が恋をすることで、
自分が真剣に恋をすることで、
少しの幸せと、たくさんの不幸をいっぱいいっぱい見て、
もう、自分には無理だと思ってた。
恋って人間を幸せにするものじゃない?
この世の中には、実らない恋もそりゃぁたっくさんあるけど、
でも、どんな恋も、どんなに小さな恋でも、
その恋の存在の意味ってきっとあって、
誰かを強く大きくしたりするために生まれるんじゃないかなと思う。
でも、自分のした恋の結末のたいていが、
とんでもなくて、
もう自分がこの世からいなくなるしかないなぁ~と思っていたんだ。
恋ってものはやっぱり、ふたりで、ふたりのためにしなくてはいけないのか。
まだ生きてていいのかなぁ~私。


このエビフライも、
いよいよ消費期限がきて、廃棄処分だ。


そんな私に神様はご褒美をくれた。


好きになった人からもらった、
たったひとつの好きですという言葉。


彼のおなかは満たされていた。
幸せに満ち溢れ、輝いている。
彼はとても美味しそうに食べる人だ。
あんな人に食べてもらうのが幸せなんだろうな。
私はぼーっと見ていた。
いつの間にか。
エビフライはあんまり好きそうにも見えなくて、
食べてもらいたいと思ったこともなくて、
だからずっと見ていた。
ただ見ていたかった。
おしゃれな優しいロールキャベツか、
家庭的なほっこりおでんか、
若さ溢れる焼肉とかを食べて、
たぶん、おなかがいっぱいになっていた。


そんな人から、ふいにもらった、
好きという言葉。


エビフライが好きです。


その好きという言葉の力に私は震えた。
まっすぐなまなざしとまっすぐな気持ち。
カレーライスやハンバーグとくらべてどうなのか、
そういうのではなくて。
そんなことはどうでもよくて。
たとえ、それが、けっして実らない恋でも、
その気持ちと言葉の存在が、私にどれだけ、生きる力を与えてくれたか。


こんなエビフライですけど、好きになってくれるんですか?


食べてもらうことがすべてではない。
胃袋に入りたいんじゃなくて、
私はあなたの唇を見ていたい。
好きといってくれたその唇を。
いつまでも。
遠くから。


私は恋するエビフライ。
フライフライフライ。
どこまでもどこまでも飛んでいって、
賞味期限も消費期限も飛び越えて、
最後は、消えてなくなるの。


人と出逢うことも、
生きることも怖くなくなる。
だって、生きていれば、ふいに、
こんなふうに、人と出逢い、
こんなに幸せな気持ちになれるのだから。


エビフライでよかった。
私もあなたが好き。     つづく



初めて読んだ方にはわけのわからないこのエビフライ。
いうまでもなく、妄想の世界です。
2000年12月、2002年12月、2004年1月、
2006年6月と書いてきたこのシリーズ。4年ぶりになってしまいました。
年月が経ったわりには・・・な文章。数年後に第6弾を。(独り言)


陸奥と越えた冬 [日記]

やっと春です。
あたたかな春です。


普段は公演が終わるとすぐにここで自分の役とお別れして、
新しい役を迎えるのが私流のやり方で、
それを10年以上続けてきたけど、
近頃の相変わらずの自分の気持ちのぐちゃぐちゃさに、
ここまできちゃった。


そもそも、昨年の冬の公演はいろんな意味で、
冬の公演だったかな。
自分の第一声から始まり、
物語をいかにお客さんに伝えればいいのかの四苦八苦。
手探りで頭がぐちゃぐちゃになりながら、
共演者みんなで一歩一歩進んでいった公演だった。


書けなかった理由のひとつが、
大切な先輩との最後の共演だったから。
私にとって、細見大輔という先輩は、
初めてのヒロインのときの初めての相手役で、
その頃、もっとも近くで、支えてもらった先輩だった。
私にとっての幸吉くんは永遠に細見大輔です。
その時もそうだけど、その前の初めてメインの役をいただいた、
「四月になれば彼女は」という劇団の人気作品の再演で、
細見先輩と、今はその嫁の前田綾先輩と、
大変大きなプレッシャーの中、3人で共に闘ったこともあった。
私にとっての耕平も永遠に細見大輔です。
「裏切り御免!」でねえちゃんを迎えに来た、
細見大輔が1番かっこよかった。
妹としては、のちにふたりが結婚したとき、
大好きなおにいちゃんとおねえちゃんが結婚したみたいで、
本当に嬉しかったのが、つい昨日のことのよう。
初めてのツアーから、ずっと一緒で、
大阪の通天閣に連れて行ってもらったときから、13年。
思い出がありすぎる。


最後に、すごく近くで、
ああだこうだしながら、共に芝居が作れて、
一緒に2時間、舞台上にいられたことを、
心から幸せに思ってる。
間近でみる先輩のその冷静と情熱と大量の汗は最後まで勉強になった。
本当にありがとうございました。
また共演できることを祈って。


セクハラされたらぶん殴る。
責任の取り方は自分なりに考える。
泣き寝入りはしないのさ。
陸奥と共に、歩いた冬は、今思えば、
確実に春につながっていたような気がする。
2時間舞台上にいることで培った持久力、
瞬時に別人の心の声を演じなくてはいけない瞬発力は、
きっと力になったと思う。
恋する乙女の気持ちと、編集者のプライドと、
なんだかぐっちゃぐっちゃな気分だったけど、
得たものはあったわけで。


ラストシーン、主演の西川さんと話し合い、
自分たちだけのストーリーを考えた。
天使の耳を失ったと言っていた三沢社長の言葉の嘘を、
陸奥だけが気付いていたらどうだろうか。
唯一、作品の中で、心の声が描かれなかった陸奥の心の声は、
たぶん、単純でまっすぐだったと思う。
家族には打ち明けられない社長の苦しみもきっと、
陸奥だったら適当に受け止めて、
適当に力になれるんじゃないかな。
それで社長の未来が救われたら、存在価値があるってもんです。


そんなこんなで、
いろいろあった冬でしたが、
もう春です。
持久力と瞬発力と、
何が何でも芝居はお客さまのためのものだという精神を持って、
今、新たな役にチャレンジしている。


陸奥玲子さんへ。
いろいろ大変だったな。
でも、もう春です。
いろんなことに負けるなよ。
ありがとね。  つづく


細見大輔先輩のご活躍を心からお祈りしてます。(独り言)


2010へ [日記]

おひさしぶりなこの場所。
何度も何度も何度も、途中まで、書いては、
それは、今の本当の自分の気持ちではないような気がして、
ぽいってしては、
明日に向かって歩いていたんだよ、わたしは。
誕生日の日にも書いたし、
東京に帰ってきた我が家でも書いたし、
年が明けても書いたし。
たぶん、本当の気持ちもちゃんと書けてはいたんだけど、
今は、黙って、魂込めて、
パフォーマンスしたいって思っていたのかも。


誕生日からも2ヶ月が過ぎ、2010年も20日が過ぎ、
舞台が1つ終わり、2つ終わり、
でも、私は変わらずに、
幸せだなぁ~と思う瞬間を、たっくさん抱えながら、
日々、悩み、傷つき、落ち込み、立ち直りながら、
明るく笑って、進んでいる。


昨年は、静かに静かに、炎を燃やした1年だった。
自分は何がしたいのか、
自分がこの劇団にいて何ができるのか。
こういう場所に生きてしまっているから、
もちろん仕方のないことだけど、
いやがらせを受けたりして、
ずっとずっと強い信念を持ち続けていたのに、
それを自ら投げ捨てようと、初めて思ったこともありました。
見えない敵に、自分の人生をめちゃくちゃにされる悔しさは、
たぶん、生涯忘れられないと思うけど、
でもやっぱり、私は泣き寝入りをするような女じゃないんです。
舞台に立つのは、もういいかな、と、
一瞬でも本気で思った弱い自分の根性を、
叩きなおしてやらないと。


結局は、そういうことがあったおかげで、
自分を助けてくれる人に、たくさん感謝できたし、
一緒に笑ってくれる人の笑顔にとても支えられた。
たくさんのお客さんにも会えたし、
舞台に立ち続けることもできた。
仲間に救われた。
逆に、幸せをたくさん感じるってもんだ。


つい先日、身近な人に、
俺が岡内だったら生きてられない、と言われた。
あはは・・・
私は今、そんな人生を生きている、真っ只中。


痛みには慣れる。
でも、刺激には慣れてはいけない。
経験は人を強くする。
時が人をどんどん強くしてくれる。
だけど、たくさんのことをもっともっと敏感に感じて、
心に刺激を大切に受け止めながら、ゆっくり歩いていこう。
泣いたり笑ったりしながら、
助け合って、生きていこう。
私も助けるから。
わりと、最強だよ。


2010年、どんな年になるかは、
全くわからないけど、
目標とかも全くないけど、
1日1日に、
1ステージ1ステージに、
魂を込めて、生きていこうと思う。 つづく


今年はもっと書こう。書けたらいいな。(独り言)


強い心 [日記]

私の大好きな大きな背中の持ち主が人生最高の日を迎えた。
日本中が彼に拍手を送った日。


私が高校1年のとき、松井秀喜選手は、
ふたつ上の高校3年生だった。
敬遠されたことについてインタビューに答えている、
素朴な野球少年の姿が思い出される。
ジャイアンツに入団してすぐに、
野球場で彼のプレーを見て、私は一目惚れをする。
私が高校3年になる頃には、
学生鞄に「55 MATSUI」のオレンジの旗を入れ、
学校帰りに、試合前の練習から追っかけて応援をしていた。
卒業文集の理想の男性の欄には、
もちろん「松井秀喜」と書いた。


日本からNYに行き、衝撃的なデビューをしてから7年、
チャンピオンになることもなく、怪我に苦しみ抜いた彼。
メジャーに来た後輩たちが次々と夢を叶えていくのに。
なんて過酷な運命を神様は与えたのだろう。
WBCに出なかった頃から、日本国民の関心は、
彼から少しずつ離れていったのかもしれない。
ヤンキースをワールドチャンピオンにしたい、
その純粋な気持ちのせいなのに。
怪我をして、結果を出せない人間には、興味がないと、
ここ数年は、日本国民には見向きもされなかった彼。


こんな日が来るなんて。
神様はわかっていたのかな。


MVPというご褒美までもらった彼は、
一体、来年どうなるのだろう。
きっとまた冷静に前向きに、
新しい野球人生を考えていくのだろう。
その冷静さと、溢れる球団への愛、両方が彼の魅力だと思う。
選手生命の危機といわれた怪我までも、
辛いとは思わない仏のような人。
ただただ、凄いと思う。
日本中の、いや、世界中の拍手をもらう日が来て本当に良かった。
愛するヤンキースのための活躍。


私はイチロー選手も大好きだ。
鉄人であり神のような人だけど、
努力の人で、こだわりを持ち、人一倍研究をしながら、
数字と戦い、日本国民のために胃潰瘍になるような、
人間味溢れる完璧な天才は、いつもカッコ良すぎる。
ひたすら尊敬。
彼にも世界中の拍手をもらい続けてほしい。
松井もイチローも、壁を乗り越えていく姿をしっかり見せてくれる。
なぜ?と聞かれると必ず最後の答えは、
「野球が好きだから」に辿り着く。
ふたりとも、私たちと同じ世代の日本国民のヒーローだ。


野球選手と舞台俳優は全く違う職業だけれど、
私は時々、共通点を見つけることがある。
私たちは勝ち負けのあるスポーツではなく、
芸術という分野だけれど、
劇団は球団のようだなと思うことがある。
1年ごとに契約をし、突然、戦力外通告を受ける世界。
1年間、どのような戦力で戦うのか、首脳陣の決定に対して、
選手は受け身の姿勢で契約をし、
いつまであるかわからない選手生命に不安を覚えながら、
ひたすらチームのために戦うのである。
契約後は、体調管理をし、結果を出さなくてはならない。
怪我や病気になったらおしまいだ。
私たちは見えない数字の評価の中で、もがき続ける。
いい役者、面白い役者とは何か。


松井はヤンキースもニューヨークもチームメイトもファンも、
大好きだと言っていた。
日本国民の財産であるような選手と私では、
もちろん、話の規模が違うけど、
私も自分の人生よりもチームのことを第一に考えて、
13年が経とうとしている。
今あるのは、チームへの、チームメイトへの、
そしてお客さんへの愛だけだ。
1年先のことが真っ暗闇な人生だけど、
骨を折っても手術をしても愛を失わずに、野球を続け、
そしてこれからも、野球を続けていく松井のように、
私も愛をしっかり届け続けなくてはいけない。
へこたれることもあるけどね。
お客さんの拍手が何よりの力になっていく。


今回も、劇団への愛、共演者への愛、
そしてお客さんへの愛だけを抱え、
毎日、集中して、舞台に立っている。
怪我に気をつけ、全試合に出場し、しっかり勝ち越さなくては。
なによりもチームのために。
マジックが出て優勝に王手がかかってるのか、
最下位脱出のために踏ん張ってるのか、
そんな順位なんかはない世界だけれども。
勝つか負けるかは、
高いお金を払って劇場に来てくださるお客さんが、
喜んでくださるか、くださらないか。
優勝するかしないかは、
劇団が、来年もあるのか、ないのか。
今回は打順は1番バッターあたりを任されただろう私は、
次に繋ぐために、塁に出て、
チャンスが来たらホームランも打てるような、
守備のいい選手を目指さないとな。
舞台に立てること、それが1番の幸せであることを、
けっして忘れてはいけない。
この数日、彼の姿がたくさんテレビに映り、
改めて、思い出されたこと。
私は舞台が好き。


戦い続ける人生を楽しみたい。
松井秀喜のように。
気持ちを強く。
彼のこれからの野球人生が幸せなものでありますように。


7年間、NYには行けず、ピンストライプの55を、
1度も観られなかったファン失格の私だけれど。
舞台に立ちながら、応援しています。  つづく


どこでもいい。怪我に気をつけて、野球を楽しんでほしい。
いっそ、日本に帰ってくればいいのになぁ~~。(独り言)


うつくしくよろこぶ毎日 [日記]

1999年9月、この「ひめごとおかうち」をはじめてから、
10年の月日が流れた。


ひめごとおかうち10周年。


パソコンに触ったこともなかった私が、
劇団の先輩に、連載を始める場所をつくっていただき、
手取り足取り、いろんなことを教えてもらい、
言葉を生み出すことに喜びを感じ、厳しさを学びながら、
10年が経ったのだ。


戦国時代の姫の役をやっていたので、
「姫こと岡内」にかけて決まった名前「ひめごとおかうち」。
続きますようにという願いを込めて、
日記の最後には必ず「つづく」と書き、
最後に独り言を書くスタイルが、
10年続いたのである。


今、久しぶりに、その先輩と、
一緒に芝居をしている。
ずっと一緒にいる役で。
10年という月日の、集大成のような気がする。


この10年、もちろんいろんなことがあった。
でも、病気ひとつせず、舞台に立ち続けた、
自分の強い身体と心に、
その支えとなる笑顔をくれたすべての人に、
感謝したいと思う。
そして、その10年の間の自分の気持ちのかけら、
ひとつひとつが閉じ込められているこの場所にも、
改めて、感謝したいと思う。


4月に結婚をした姉が、先日、式をあげた。
妹として参加する、結婚式。
日常で感動する瞬間もたくさんあるけど、そのどれとも違う、
自分が生まれたときからずっと目の前にいた人が、
幸せに包まれている瞬間は、
本当に本当に、自分のこと以上に幸せで、
自然と涙が溢れて大変だった。
花嫁として、真っ白なドレスに包まれ、
母の使ったベールを身につけ、父の腕を取り歩く姉は、
今までみた誰よりも美しかった。


おかうち、32歳。
まもなく、33歳になる。
10年後といわず、
20年後の50歳を過ぎた頃、
私もうつくしくありたい。
今まで、あんまりちゃんとお手入れしてなかったお肌も、
20年後も、美しく保ってみせる。
と思いながら、最近、
スチーマーにあたったり、
スリムセラを肌の上でころころしたりしている。
ヨガを始めてからも、3年半が経ち、
身体作りや肌のキメを整えるのにも、
自分にあった方法を見つけられた。
シンプルな方法を続けることに美しさの鍵があると思う。


20年後を、みてろよぉ~~~。


美しく喜ぶ毎日を過ごしていたい。
そんな20年後の毎日にも、
まだ、こうやって、
言葉を紡ぎだしていられたら幸せだと思う。


こんなふうに、20年後のことを想像しながら、
今日も、うつくしくよろこんでいたい。 つづく


ひめごとおかうちって名前はイケていたのだろうか。(独り言)


これからほしいもの [日記]

今、ほしいものはありますか?
今、やりたいことはありますか?


少し前まで、私には、なぁんにもなかった気がする。
たいしたやりたいことが見つからなかった。
下手をしたら、今、食べたいものすら思い浮かばなくて。
出来れば、平和に、問題なく、健康に明日を迎えられたらいいな、と。
明日だって、なんなら来なくても、別にかまわないような。


今年の4月、久しぶりの休みがあった。
今までの休みは、なんだかんだ、仕事でやるべきことがあったり、
プライベートで、引越しをしなくちゃいけなかったりしてくれて、
忙しく、明日がやってきてくれた。
自分で強く望まなくても。


さぁ、何がしたい、と思ったときに、
私は飛行機に乗り、旅に出ていた。
高知に行ってみよう。
まだ、はっきりと、自分の気持ちもわからなかったけど、
手探りで見つけた私のやりたいこと。
友達に会いたい。
ついでに、やっぱり、四万十川が見たい。


水のある景色が好きで、
でも、海は、ときに大きすぎて、
だから、私は川が好き。
緑と水が一緒に感じられるから好き。
流れ続けてくれる音が好き。


高知に行くなら、四万十川が見たい。
ただ「見たい」っていう欲求が、自分の中では久しぶりな感じがした。
誰と見たいとか、みんながいいって言うからでもなくて、
ただ、四万十川をぼーっと見たい。


四万十川ってどこに行ったら見られるんだろう。
ガイドブックとパソコンを使い、行き方を調べる。
なんとなく答えが出て、あとはやってみるしかない状況。
たいていのことは何でもそうだよね。
答えは調べられないし、たぶん正解は何通りもあるし、
正解が大事ではないかもしれない。
1日に数本しかない電車を乗り継いで、
江川崎という駅に降り立った。
そこから、自転車を借りて、10数キロ先の岩間沈下橋を目指す。
四万十川にはたくさんの沈下橋が架かっているけど、
1番自然を感じられる美しい沈下橋を選んだ。
駅周辺にも人はいなくて、駅員さんがひとりいたのかな、
あとは自転車を貸してくれたお店の人がひとり。
人がだーれもいないぞ。
川の音を聴きながら、鳥のさえずりを聴きながら、
四万十川沿いに、自転車をひたすら漕ぐ。
前日の天気予報は雨。
そんなもんだよね。
雨でも雨の四万十川を見ればいいし。
でも、本当に運がよく、曇り空から雨が落ちてくることはなかった。
たまに雲の合間からお日様がのぞいたりした。


橋といっても、東京の川にかかっている車がびゅんびゅん通る橋ではなく、
人と、車が、通りたかったら通れますよって橋。
柵も何もない、川にかかるただのせまい道である沈下橋に、
足をぶらぶらさせて座れば、
四万十川のど真ん中で、ぼーっとできた。


高知にいる私の友達は、
障害があり、でも、明るく笑って生きている車椅子の男の子。
いつか必ず劇場に観に行く、と約束してくれた。
数年前、自分の1番大切だったはずの、
舞台に立つということすら迷った時期に、
私の人生の支えになった言葉をくれた人だ。
私は彼が観に来てくれるまで、当然、
舞台に立ち続けなくてはいけないと決まっていた。


四万十川のほとりで数時間、ぼーっとしながら、
でも、実は、考えるべきことすら、なくて、
流れる水を見ながら、川の音を聴いていた。
なんとか生きていれば、見たいと思うものを見られる。
やりたいと思うことを手探りでもやってみればいい。
自分にとって意味のある明日を迎えるために。


さぁ、舞台に立とう。


高知から帰り、稽古の最中にも、大変なことはたくさんあった。
泣きながら母と電話をした夜もあった。
負けず嫌いの私には、今までの長い人生で、
人に、しかも母に、弱いところを見せるなんて、ありえないことだった。


待ちに待った友達が高知から観に来る日が決まり、
密かにその日を迎えた。
カーテンコールで、客席にいた車椅子のその友達の笑顔が見え、
隣に座っているお母さんが、
動かない彼の手を高々と持ち上げて、
大きく振ったとき、
そして、一緒に、周りにいるお父さんや高知の友達が、
来たよぉ~と手を振ってくれたとき、
嬉しくて嬉しくて、
私も、
舞台の上から、大きく手を振った。
間違っていなかった。
舞台に立つという1番大切なことを見失わずにいられてよかった。


長いサマーツアーが終わり、また休みがやってきた。


今度はその友達が東京にやってきた。
彼は、ストリートで書を書くのが仕事。
あと、音楽の作詞もする。
今度は、彼の東京での仕事のサポートをしたいと心から思った。
まだまだわからないことだらけだったけど、
東京で、一緒に、駅の中をぐるぐるしながら、電車に乗ったり、
車椅子の入れるトイレを探してデパートをぐるぐるしたり、
車椅子の乗れるタクシーを呼んで一緒に乗ったり、
一緒に入って飲める居酒屋を探したり。


彼と一緒に過ごしたのはたったの3日間だったけど、
私の、自分のために、ぼーっと過ごしてた時間の使い方が、
あっという間に、激変してしまった。
やりたいと思うことがむくむくと沸きあがってきた。
私ごときでも、この世界には、やれることが、いっぱいある。


友達が高知に帰ってすぐに、
劇団の先輩たちが、立ち上げたユニットの公演があった。
その3人が大好きだったので、
私ごときでも、なにかしら、お手伝いできたらなぁと思い、
やりたいです、と手を挙げて、
稽古場に行ってみた。
本番にも毎日行ってみた。


結局、ずっとそばでお手伝いすることが出来た。
ものすごい楽しかった。
やりたいことは、やればいい。
そうやって、動けば、
世界がどんどん広がる。


明日なんか来なくても別にいいや、と思っていた私の人生が、
今、未来に向かって、
やりたいことで溢れている。
今、私に出来ることを探しながら、
劇団のために、やりたいことをやりたい。
週末の姉の結婚式のためにリングピローを作ろう。


明日が必要なのです。


今、1番、ほしいもの。
ものすごくほしいもの。


とあるエスプレッソマシン。


そんなにバカ高いものではないけど、
明らかに、生きていくうえで、すごく必要なものでもない。
コーヒーメーカーはあるし。
私は紅茶も大好きだし。
夜は、コーヒーというよりは、お酒だし。
でも、ものすっごくほしいものを久しぶりに見つけた。
それを買うために働くぞ。
必死に生きて、来年くらいに、
おうちにあのエスプレッソマシンを買うぞ。
買うまでは死ねないぞ。
買って、美味しいエスプレッソを淹れて、
やったぁ~~って幸せな気分になるぞ。
四万十川を見たいと思ったように、
実現して、次の目標に進むぞ。
まだまだ、やるぞ。
私はエスプレッソマシンを買うんだぞ。


ほしいものがある明日は、
すっごく楽しい。 つづく


いよいよ、今年最後の公演の稽古が始まる。
とにかく、いい舞台を作ることと、美味しいエスプレッソを飲むことが、
毎日の目標!(独り言)


風を継ぐ [日記]


3ヶ月の間、幕末を生きた。
当然のことだけれど、現在、私の生きている時代は、
150年近くも先の時代。
幕末を生きた人たちとは、すれ違うことも出来なかった。
沖田総司や土方歳三、長州の男達とも。
私にとってこの3ヶ月は、
今、共に生きている人たちと、
同じ時代を生きていられることに感謝する毎日だった。

この公演の稽古中に、
私の尊敬する、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
世界中で、誰にでも会えるなら誰に会いたい?という質問には、
いつも、マイケル!と叫んでいた。
彼のパフォーマンスがなかったら、
私は、ダンスをやってなかったし、役者にもなっていなかっただろう。
最後のアルバムを買って以来、
彼の新しい作品に触れることも、ライブに行くこともなかったため、
彼が亡くなったニュースは、いまだに遠いどこかの、
おとぎ話のように、現実のこととは思えない。
もういないのか。
でも、私は、確かに、同じ時代を生き、
彼の姿を東京ドームで、何度も見ることができた。
歌声を聴き、パフォーマンスを見て、大興奮できた。
今は、同じ時代に生きられたことを喜ぶ気持ちが、
心の中に溢れている。
私は幸せものだ。
マイケル、ありがとう。


あなたと同じ時代を生きられることは、
それだけで奇跡。
出逢えただけで幸せなのです。

美祢という役を演じた。
夫を殺され、その敵を討ちたいと願っている。
役者としては、すごくやりがいのある、面白い役だろう。
と、私も、演じる前は思っていた。
3ヶ月の間、復讐の蒼い炎を燃やし続けるのは、
想像以上に身体にはよくなかったかな。
ひどい女だ、全く共感できない、なんて言われながらも、
私は美祢を愛して、演じていた。

大切な人を殺されたからって、殺した人を殺しても、
大切な人が返ってくるはずがない。
でも、あの時代は、あの時代の武士達は、
あだ討ちなんて当たり前。
夫をはじめ、たくさんの同士を殺された長州にとっては、
新選組は、殺さなくてはいけない敵なのだから。
そんな長州魂を持ちながら、
日々、沖田総司を殺すために、戦いました。
夫ももういないのだから、自分も死んでいいと思っていたのでしょう。
でも、運命の人と出逢い、
美祢は、生きることを選んだ。
今度は、沖田に助けられた命を持って。
小金井兵庫と出逢い、一緒の時代を生きられたことは、
美祢にとっての奇跡。
奇跡に感謝。

舞台袖で、必ず、ラストシーンを見ることにしていた。
弟と、旦那が、生きていてよかった、というシーンを、
毎ステージ見ることによって、精神を保っていたのかもしれない。
いっつも嬉しくて、涙が出た。

生きててよかった。
死んだら、
あのとき死んでいたら、今、何にも感じられない。

「風を継ぐ者」は再々演。
キャストが一新された。
入団する直前に、客席でこの作品の初演を観ている私にとって、
お客さん以上に、初演が大好きだ。
好きすぎて、劇団に入っちゃったわけで。
でも、今回、このメンバーと共に、幕末を生き、
新しい沖田や新しい迅助や新しい兵庫や新しい剣作・・・みんなみんなが、
風をしっかり受け継ぎ、新しい「風を継ぐ者」を作った瞬間に、
私も一緒に立ち会えたことを、
心から幸せに思っている。

一緒の時代を生き、一緒に舞台に立てることも、奇跡。
きっと、すごい確率の奇跡なんだ。

最後に、天国のミラノ姉ちゃん。
あの頃は、妹分だった私もすっかり年をとり、同じ役をやるようになったよ。
私は、あなたの風を感じ、日々、舞台に立っていました。
風、継げたかな。
ずっとずっと、私が姉ちゃんの風を継いでいくからね。
また、美味しい素敵なお店を見つけて、お茶をしながら、
美祢がいかにいい女だったかを、話そうね。
だから、笑って待ってて。

あなたの生きる時代に、私も生きられたことに、ありがとう。
そして、これからも、たくさんの風を感じて。  つづく

これからは穏やかに暮らします。(独り言)

サマーツアー終わりました。
応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。


音楽とお酒と [日記]

先日、OCEANLANEのライブに行った。
彼らのパフォーマンスを見るのは、
今年に入って4度目。
ライブハウスに通いたくなるくらい、
彼らから心地よい刺激を毎回もらい続けている。
無条件に明るい気持ちになる。
薄暗いライブハウスに明るい青空が見えるような。


OCEANLANEというバンドに出会ったのは、
2004年の春の時代劇のとき、
劇中で曲を使わせてもらった。
刀を振り回し生きるか死ぬかの時代劇のクライマックスに、
爽やかで熱い英語の歌詞の音楽がかかることが決まり、
これは誰の曲ですかっ??と聞きに行ったのを覚えてる。
どんな外人さんたちのバンドかと思ったら、
なんて素敵な若いお兄ちゃんたち。


その後、タイムトラベルもののSFでも、童話のようなファンタジーでも、
彼らの音楽が私たちの舞台を支え続けてくれている。


私が1番、彼らの音楽に助けられたなと思ったのは、
去年の春のタイムトラベル2幕ものの舞台のとき。
私はずっと舞台上にいてそのストーリーを物語っていくという役所で、
2幕で2時間半の芝居を60ステージ、
ずっと客席に向かって語り続けなくてはいけなかった。
幕が開くと、舞台袖にはけることもなく。
何ヶ月後、誰がどうなって、何年後、どこで何が起こって、
というようなことを、間違えずに話さなくてはいけない。
その内容は、親友の死だったり、兄の辛い人生についてだったりと、
まぁ、とにかく、いろんなことが、精神的に、
今まで生きてきて1番きつい状態で、
気持ちを張り詰めて向かい合っていた作品。


でも大変だったということが言いたいのでは全然ないんだ。
そのときに私を支えてくれたのが、
毎日、毎ステージ、一緒に近くで舞台に立ってくれていた、
彼らの歌声であり、
彼らの音楽だった。


もちろん録音されたものだし、
バックでかかってる音楽なんて、
そんなに重要?と思うかもしれないけど、
その舞台のときには、自分でストーリーを運んでいかなくてはいけないため、
音響や照明のきっかけをたくさん自分が持っていた。
毎回、台本の決まったところで、
曲をかけやすいような台詞の言い方を要求されるし、
音が大きく盛り上がった後、少しダウンしてきたとこで、
心地よいタイミングで次の語りの台詞を出さなくてはいけない。
曲の途中、フレーズのいい部分に、
芝居の長さを合わせていかなくてはいけない。
役者と共演するというよりは、音響さん照明さんと、一緒に、
その日の舞台のテンポを作っていく作業だった。
ひとりで舞台にいる時間もものすごくたくさんあった。
2幕目になると誰とも会話することもなくなる。


いろんなものと戦いながら、きりきりとしているところで、
いつも変わらずに流れてくる音楽。
今、私がしゃべらなかったら、今、私が違うことを言ったら、
今日のステージはどうなるんだろうなぁ。
できるかできないか毎回不安で、自分の心しか信じるものがないときに、
ドラムの音、ベースの音、ギターの音、
そして歌声が、
私の背中を押し続けてくれた。
大げさではなく、OCEANLANEの音楽だったから、
自分が頑張れたような気がする。
私にとってはその公演から、そんなバンドになってしまった。


だから、今でも、ただ聴くだけで、いろんなものをもらえる。
これが、これこそが、音楽の持つ力なのだと思う。


そんな音楽をライブハウスで生で聴けるなんて。
芝居のことも考えずに!
ライブの後、何度か一緒にお酒を飲んでメンバーと話したことがある。
音楽と芝居という全く違う場所だけど、
共通するところもあったり、
全く違うお互いの仕事や作業にも、もの凄く興味がわく。
大人数の劇団と4人のバンドとの違いもある。
同じツアーと言っても、違う部分はたくさんあるし、
でも同じ感動ももちろんある。
パフォーマンスを見て、話をして、また飲もうなんて約束をして。


彼らとの出逢いで、私の世界が広がったなぁと実感する。
これからも、音楽に負けない芝居を生み出していかねば。
素晴らしい出逢いと素晴らしい音楽に感謝しながら。


この世界に、
音楽とお酒と、そして、
私に、芝居があって、
本当によかった。


最近、いっっちばん、思うこと。  つづく


新曲も楽しみだなぁ。(独り言)


笑進笑明の約束 [日記]

1年前に出逢ったときにした、
高知に必ず逢いに行くという約束。
その約束が実現する前に、
彼が高知から東京にやってきたのは去年の11月。
その時に、彼と初めて逢い、話すことができた。
彼の指が描いた文字。


やくそく


私の心にはその4文字が深く深く刻まれてた。
いつでも、どんなときにも、心に。


長い休みに入って1番に行きたい場所は、
温泉でも、海外でもなく、
もちろん四国の高知だった。
逢いに行くならば、
彼がストリートで書を書く活動をしているところに行きたい。


日浦駿介くんは20歳の男の子。
男の子って年じゃないか。
でも、私とちょうどひとまわりも年が離れているから。
って言うと、しゅんくんは必ず、怒る。
年のことは言うな、
いくつになっても未来はあるし、
人を想う気持ちは変わらんって。
しゅんくんは、進行性の難病と闘っている。
ってことは、ここに過去、もう2度も書いているからね。


もしも、ってことはありえないし、
想像しても意味がないんだけど、
もしも、その個性が彼になかったとしたら・・・・・・
なかったとしても、私は彼の書に惹かれただろう。
でも、彼が書を書くことを決めたのは、
その個性があるからで、
そうしたら、やっぱり、私は彼のその個性に惹かれたのかな。
病気だ、とか、身体が動かないから、ってことは、
しゅんくんとコミュニケーションをとっているとうっかり忘れてしまう。
しゅんくんに同情なんて全く生まれない。
これは、きれいごとじゃなくて、
自分の小ささに、自分の方が人から同情される身だなと感じてしまうから。
とにかく、そのまんまの今の、
しゅんくんが生み出す言葉が好き。
私は、彼の言葉が好き。
それだけ。


ストリートライブライティング、略してSLWを、
4月にやると教えてくれた瞬間に、
私の心は高知に飛んで行った。
慌てて、飛行機の便やらホテルを決めて、
高知のことが全くわからないから、ガイドブックを買い、
まずは、空港の位置、ホテルの位置、SLWをやる公園の位置をつかむ。
知らない場所に行くのが大好き。
まだまだだなって思うから。
仕事をいっぱいして、日本中、世界中に行ってみたい。
この世界には、たくさんの素敵な人が生きている。
って、思わせてくれたのも、
しゅんくんだったな。


高知の陽射しは強かった。
迎えてくれた高知弁はあったかかった。
風はとても優しかった。
予定時間を30分もオーバーする2時間半、
しゅんくんは、ずっと筆を動かしていた。
左手の中指にくくりつけた筆からは、
圧倒的な言葉が生まれ続けた。


2時間の芝居を観るような。
2時間のライブを聴いているような。
頑張らないと、涙が出る。


その中指は2時間半で、紫色に変色していった。
だんだんと腕が上がらなくなるし、
思った通りには色紙の上に描けていないんじゃないかと、
心配をしてみたくなったりする。
でも、一緒に活動しているパートナーさんに、
視線で合図を送り、
色紙の、筆を下ろす位置に妥協はない。
アーティストだなと思う。


目の前に座るお客さんは、さまざまだ。
じっと座っていられない子供から、
私達の人生の先輩であるおばあさんまで。
子供を何人も抱えたお母さん。
同じ車椅子の子。


しゅんくんはどんな言葉を描くのだろう。


一文字書き始めても、一行終わっても、
なかなか想像できない。
なぜなら、その辺に転がってるありきたりな言葉ではないから。
だから、色紙いっぱいに、言葉が広がり、世界が広がり、
仕上げに、パートナーがはんこがぽんと押すと、
どばーって感動が押し寄せてくる。
筆一本で、この男は、人の心を揺り動かす。
その才能を心からうらやましいと思う。
ね、同情なんてところから、彼はかけ離れたところにいるでしょう。


最後の最後に、私もお金を払って、
しゅんくんの前に座った。
たくさんの人に書いてきたため、体力的にも、
限界のところだったかもしれない。
でも、しゅんくんは、今じゃないと意味がないって。
しゅんくんといると、今、を意識する。


まず、しゅんくんは私を見て、
そして、しばらくの間、空を見るんだよ。


それが結構長い時間だから、
あとで、あれは何を思ってるの?書く言葉を考えたり、
色紙に描くイメージをつかんだり?って聞いたら、
こうしん
って書いて笑った。
いったい、どっからきたんだろ、この大きな人は。


美喜子が向かう未来に何も恐れることはない


私がしゅんくんにもらった言葉。
額を買ってきて、東京の自分の部屋の、
1番見えるところに、飾ってある。
色紙は、一緒に飛行機に乗って、高知から帰ってきた。
私の一人暮らしの部屋の持ち物に、
静かに、色紙が1枚増えた。
そのことがどれだけ大きいかは、私だけのもの。


しゅんくんがアーティストとして生きるために、
しゅんくんのまわりにはたくさんの人がいる。
彼が生きるため、
高知弁のあっかるいあったかいご家族が、
彼の一部となって存在している。
いつも笑顔のほんわかお父さん、
明るいエネルギー爆発の学校の先生のお母さん、
優しいオーラの病院で働くお姉ちゃん。
3人のことが大好きなんだよな。
私の目標。
私の尊敬する人たち。
3人の名前の最後を足すと、美、喜、子になる。
発見したとき、すっごーーーく嬉しくなった。
神様は知っていたの?
同じ時代に生きられて、出逢えて、よかった。


高知でしゅんくんとたくさん話すことが出来た。
私が喋り、彼は指で文字を書く。
いろんなことを話した。
まだまだ足りないけど、それは未来の楽しみ。


コミュニケーションの手段には、いろいろある。
外国人となら、外国語、
耳の聞こえない人とは、手話、っていうことの他にも、
ジェスチャーだったり、表情だったり、
人と人が出会って、こころを通わせるために、
そのふたりにあった手段がある。


しゅんくんは、思ってもみないことを言う。
私は笑わされてばかり。
筆談なんて、そんなに難しくないと思うだろうけど、
想像も出来ないことを書くから、なかなかわかんなくって、
それがまた面白い。
笑いの絶えない会話になる。
しゅんくんと話していて、あらためて、ひらがなの形の美しさを感じた。
別れ際に、筆談はもう完璧だなんて話したけど、
でも、私の苦手は 「と」 だね、と言ってふたりで爆笑した。
たったの46文字に点々と、まると、のばす棒だけなのに、
最初はなかなか難しかった。
ほんのちょっとの指先の動きで表現する言葉たち。
「あ」とか「な」とか「た」とか「お」とか、その存在はすごく覚えているのに、
すぐに「と」の存在を忘れる。
「て」?とか、「ひ」?とか「い」?とか、
逆に「け」とか「そ」?までいってしまい、
やっと、「と」だぁ~~~!ってことになる。
「ど」なんて私にはすっごい難しい。
「で」?「び」?ってね。
でも、これでもう「と」は完璧だよ。


次の約束が決まった。
今度は私の舞台を観に来てくれること。
メールで話をするようになってから、1年、
いよいよ実現するかもしれない。


今までは、誰かのためにというよりは、
劇団に入団したからには、
自分の役割をまっとうしようということで精一杯で、
がむしゃらに12年間、舞台に立ってきたような気がする。
私は舞台が好きだから、
違うことをやりたいと思ったことは1度もなかったけど、
もう舞台に立つには、エネルギー切れだと思ったことは何度もあった。
でも、今は、しゅんくんに観てもらうという、
でっかいでっかい目標がある。
しゅんくんには書があるように、
私には舞台しかない。
毎日、自分を磨いて磨いて、
舞台の上の私を観てもらうために、
何が何でも、やらねば。


恐れることは何もないから。


かつおのたたきは美味しかった。
しゅんくんが私の飲んでる日本酒を、
のませて、と言ったこと。
口にちょっと入れただけで、
おとなのあじ、とまずそうにして笑ったこと。
一緒に歩いて一緒に食べた、日曜市。
車椅子を押して、一緒に見た桂浜。


また高知に帰るき、待っちょってや。
私も笑進笑明で、舞台に立つ。
私の大切な友達。
ありがとう。     つづく


書きたいことがまだまだたくさんある高知の旅。(独り言)


 


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