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親と姉弟と家族と [日記]


私は本を読むのが好きだ。
映画を観に行くより、ゲームをするより、
本を読むことが、好き。
好きなお茶を飲みながら、ページをめくっていくことが、
何よりも好きかもしれない。


好きな作家さんはどんどん増えるけど、
最初から好きだった作家さんのひとりだった。


恩田陸。


恩田さんの世界は、すごい。
いろんな色をした世界に連れて行ってくれる。
その中のひとつ、常野物語に生きることができた。


それだけで。


長い真っ黒な髪。
冷たい流し目。
大人びた声。


恩田陸原作の舞台、夢のよう。
少しでも、記実子に近づきたくて、
この公演のために髪の毛を伸ばしてきた。
恩田さんの小説の中の言葉のかけらを探す。


端正な白い顔。
凛とした声。落ち着いた声。
母親のような顔。
のちに、少女の高潔さと大人になりつつある女性の色香とを、
微妙なバランスで持ち合わせた高校生に成長する。
お母さんも美人でさ、休みの日にはみんなで紅茶とか飲んでるんだよ、
とクラスメイトに噂される少女の両親は、その頃、
この世にはいないのだろうか。


毎ステージ、常野の世界で、
光の子供を演じることができ、
本当に幸せだった。
どんなふうに演じようか、わくわくして、
もっともっと記実子になりたくて、
どのステージも違う記実子に進化し続けてしまった。


もう1度、みんなにこの言葉を味わってほしくて、
「光の帝国」の原作の中の、
恩田さんの素敵な言葉をここに書きたい。
この台詞を言えることに、本当に感激した。
役者をやっていてよかった。
すべての出逢いにありがとう。


「僕たちは、光の子供だ。
どこにでも、光はあたる。
光のあたるところには草が生え、風が吹き、
生きとしい生けるものは呼吸する。
それは、どこででも、誰にでもそうだ。
でも、誰かのためにでもないし、誰かのおかげというわけじゃない。
僕たちは、無理やり生まれさせられたのでもなければ、
間違って生まれてきたのでもない。
それは、光があたっているということと同じように、
やがては風が吹き始め、花が実をつけるのと同じように、
そういうふうに、ずっとずっと前から決まっている決まりなのだ。
僕たちは、草に頬ずりし、風に髪をまかせ、
くだものをもいで食べ、星と夜明けを夢見ながらこの世界で暮らそう。
そして、いつかこのまばゆい光の生まれたところに、
みんなで手をつないで帰ろう」


みんなみんな、光の子供だ。
間違って生まれてくることもないし、
誰かのためにでも、おかげでもない。
光があたっているということと同じように前から決まっていることなんだ。
このお祈りの言葉を、ずっとずっと忘れずに、
こころにしまって生きていきたいと思う。


忘れない人がいたら、どんなに幸せでどんなに苦しいだろう。
記実子たちは、人の人生をもまるごと記憶できる力の持ち主。
その人の生きている間の感情もすべて。
自分の感情ですらすべて覚えていることは辛いことなのに、
何人もの人の記憶を、人類が存在した頃からの分すべて、
しまい続けて生きる人々が、この世界のどこかにいたとしたら・・・・・・。


私にはそんな力はもちろんない。
だからこそ、誰かのことを、強く記憶して、
こころにしまって、生きていきたいと思う。


いつも、舞台の上で、
両親役のふたりの笑顔を、かみしめていた。
いつか、笑顔を見られなくなるということ。


いつも、舞台の上で、
弟役の、笑顔を守ろうと思った。
笑顔を助け、笑顔に助けられ。


私にも大切な家族がいる。
幸せな家庭に育った。
守られて幸せに育ったことにより、
女優として、プラスのことはたぶんない。
そんなあまったれたお嬢ちゃんが、
何を舞台の上で表現できるんだ、と言われるだろう。
でも、舞台が好きだという、誰にも負けないエネルギーは持っている。
その私のエネルギーの源は間違いなく家族だろう。


たったひとりの姉が結婚した。
自分のことのように、幸せで、嬉しい。
兄ができた。
ずっとずっとずっと3人姉弟だったので、
まさか兄弟が増えるとは思ってもみなかった。
笑顔を守るために、姉弟で協力して、
生きていきたいと思う。


長い間、「道路交通情報センターの岡内」を応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
姉に代わってお礼を言わせていただきます。
今月いっぱいは、神村という名前で、
千葉方面の情報を中心に、ラジオに出演しています。
寿退社です。


おねえ、おめでとう。


どこかで、誰かが泣き、
どこかで、誰かが笑う世界。
自分にしまえることは、しっかりしまって、
こころに響かせて、
光があることを忘れずに、
祈りながら、
みんなで助け合って、支え合って、生きていこう。


僕たちは光の子供だから。  つづく


春田記実子ちゃん、すばらしい世界を響かせてくれてありがとう。(独り言)


デパート [日記]

みきちゃん、最近、男が変わったからねぇ。


公演中、楽屋で隣の席だった先輩女優さんに、
毎日のようにからかわれていた。


なぜそんなことを言われるのかというと、
最近、ちょっと洋服の感じが変わったから、だって。
男、変わってませんよ。
っていうと、ずっとお付き合いしている人がいるみたいだけど、
・・・・・・
ってどんどん、切ない方向に話がいくからやめるけど、
とにかく、新しい男が出来たから洋服の趣味が変わるなんて、
そんなヤワな私ではない。


種明かしをすると、去年の始め頃、
以前からたまに買っていたブランドの、
デパートに入っているお店の、店長さんとお友達になったのである。
そして、しょちゅうお店に遊びに行っては、
コレ着てみろ、アレ新作だ、
と、いろんな服を試着しまくり、買いまくるという、
なかなか楽しいストレス発散方法を覚えてしまったのだ。


私は幼い頃から、良いものを長く着るという親に育てられてきた。
だから、洋服を買うという習慣は、ほとんどなかった。
姉と一緒に暮らしていた頃は、
姉が飽きたものをもらうという、いわゆる、おさがり。
あとは、姉の服を借りたり、一緒に所有したりと、
お金をかけずに、便利に過ごしてきた。


洋服って面白い。
ドアを開けて玄関を飛び出た時に、
カラフルな気分になれる。
私は職業柄、いろんなキャラクターにあわせて、
いろんな衣裳が着られる。
逆に、冒険するのはそれで満足してしまって、
普段は、着心地のいい、安心できるものを長く着ていたりしたけど、
店長と友達になってからは、
着たことないと思うけど、こんなのも絶対に似合うからって挑戦したり、
コレは絶対にイメージに合うから1枚、持ってなさいとか言われたり。
私のワードローブを知り尽くしているから、
コレは持ってるから、もう買わなくていいとか、
アレとコレをあわせて、こんな着方も出来るしとか、
お店で過ごす時間が、楽しくって仕方がない。


この間、店長が舞台を観に来てくれた。
いつもと逆の立場。
楽しんでくれたかな。


そんな店長のお店が、リニューアル。
先日、オープン前のデパートの内覧会ってものに初めて行ってきた。
いやぁ~~~すごい。
デパート万歳。
東京初のパン屋さんやら、日本発のジェラート屋さんやら、
いろんなものがきらきらしている。
京都にしかお店がない大好きな手ぬぐい屋さんが、
東京に初進出していて、
うれしかったり、さみしかったり。
京都に行く必要がなくなった・・・・・・。


店長のお店もどどーんと広くなって、
すごいことになっていた。
そのデパートにどのブランドも、すっごく力を入れてるみたいで、
店長もきっとプレッシャーだろう。
これからも売り上げに貢献します。


スタバに行ったら、
店員さんに、全員、すごい人たちを集めているらしく、
ばりっと黒いエプロンをつけていて、
接客のすばらしい夢のスタバだった。


そういう現場を見ると、
私達も、お客さんを、ばしっと楽しませることに、
高い志を持って、頑張らないといかんなと思う。
デパートに負けるな、キャラメルボックス。
行けば、ストレス発散できる、夢の場所。


また男が変わったの?と思われるくらい、
いつも新しいことに挑戦していたい。 つづく


今日、オープン。すごい人だろうな。店長、頑張れ。(独り言)



ミルクパン [日記]

ついにミルクパンが家にやってきた。
ちいさなちいさな赤いミルクパン。
ホーローのミルクパン。


引っ越して、今までと違うのが、
キッチンのIHヒーター。
炎の大きさを見ずに、料理なんか作れるかと思ってたけど、
IHはIHで、慣れれば、悪くない。
今までのフライパンやお鍋は運良くIHでも使えた。
でも、ホーローのお鍋が欲しくてもなかなか対応していなし、
とっても高かったりする。


私の冷蔵庫に必ず入っているものの中に、
牛乳がある。
卵も、ビールも、日本酒も、入っているけど、
牛乳はないと落ち着かない。
ビールがなくても落ち着かないけど。
牛乳は、朝も夜も1日中、必要。


牛乳を電子レンジで温めて飲むと、
とても幸せな気持ちになる。
そこに、蜂蜜を入れたり、
コーヒーを入れたり、
ティーバッグを入れてミルクティーにしたり、
カップスープの素を入れて、まろやかな甘いコーンスープにしたり。


でも、お鍋で牛乳を温めるのはもっともっと幸せ。
それには、ホーロー。
そしてちっちゃいのが条件。
バターウォーマーでかわいいのがあってもIHがだめで、
振られたりしていたけど、
ついについに出逢った12センチのホーローのミルクパン。
イメージでいうと、大きなのりんごに、
取っ手をつけたくらいの可愛い大きさ。


あたたかなミルクは、
こころを元気にしてくれる。
どんなときも。
それは、人間にとっては絶対なんだと思う。
我が家にやってきたミルクパンは、
ちっちゃなお母さんなのかな。


ホーロー鍋のすごいとこは、
大切に使えば、永遠なところ。
私は、このミルクパンに、ずっとずっと抱かれる。
少し風邪っぽくても、少しさみしくても、
いいことがあった日も、ここぞという闘いの日も、
ミルクパンで沸かしたミルクを飲もう。


小さな赤いミルクパンのような存在。
誰かの元気になれるといいな。 つづく


茶葉を煮出したミルクティー、とてつもなく美味しく感じる。(独り言)


死んでも守りたい [日記]


1週間の大阪ツアーが終わり、
東京公演まで1週間 、間があく。
いろんなことをぼんやり考えながら、
芝居のことも頭から離れずに、
でも、自由な時間を過ごす。


ぼやぼや、ちょっとぴりぴり。
ツアーの前後には実家に帰り、家族と話をする機会が多い。
我が家の話題は、もっぱら結婚についてで、
私はまだ先過ぎて、両親に謝りっぱなしなのだが、
父が最近、私に必ず言うのが、
恋をたくさんして、そんなに真剣にならないで、
今はたくさん遊んだらいい、と。
親が言う言葉ですか、30過ぎた娘に?!


私の数少ない経験だと、
命懸けの生きるか死ぬかみたいな恋愛しかしてないので、
親も私が散りゆく様をすべて見ているから、
そんなふうにあり得ないことを言わせてしまうのだろう。
ごめんなさい。
しかし、遊んでる場合じゃないです。


失恋後に、新しい恋を見つけると、
もう好きな人はできないと思ってたのにぃ、
と言うのが、世の常だけれど、
わかっていても、


私は、今、人を好きになることに臆病になっている。
かなり。
好きになり過ぎず、憧れで終わらせたい。
死んでも守りたいと思ってた人が、
ありがとう、とても嬉しいけど、俺は違う人を守ります、と、
私の腕の中からいなくなるから。


死んだら守れないんです。
死んでも守りたいとか言っちゃう私はアホです。
でもそれくらい人を大切に想えるのに、
その人には他に大切な人ができるんだな。
お前は大丈夫だろ、と。
あぁ、大丈夫さ、お前を守りたかったのに。
私、男に生まれたら幸せになれたかもね。


自分が守りたい気持ちはおいといて、
死んでも守りたいと思われる女にならないとだ。
父のいうこれからする予定の数々の恋愛で、
私は守り守られる女になれるのだろうか。


なんで私がこんなにアホな恋愛論を綴っているかというと、
今回の芝居で、私には死んでも守りたい人がいるから。
あと1ヶ月、その気持ちについて、
思う存分、実感して、考えて、味わっていきたいと思う。


先輩に聞いた話によると、
人は毎日、決まった時間に泣くと、
そのうち、気が狂うそうだ。
私はここ数年、21時頃に泣くという生活を続けている。
毎日ではなく、本番のあるのは、1年の3分の1くらいだけれど、


それでも心にとって、不健康な生活だろう。
私生活がおかしくなっていくのは当たり前。
実際、あんまり自分の気持ちに素直になれず、


泣くことはほとんどない。
そんな私に巡ってきた今回の役。


死んでも泣かない!


涙は我慢するためにあるのです。
でも涙を枯らしてはいけないのです。
死んでも守りたくて、死んでも泣かない。
今、魂全部かけて打ち込める芝居がある幸せ。


こんな私に好きな人ができるのはいつの日になるのだろう。
お父さん、申し訳ないけど、
健康に気をつけて、気長に待っててね。 つづく
恋かぁ・・・・・・。(独り言)



ルーツ [日記]

私がなぜ舞台女優を志したのか、
ご存知の方がどれくらいいるかわからないけど。
私は、その昔、不良少女だった。
もう15年以上も前の話だから、そろそろ時効を迎えたと思うので、
今日は、そのことを書いてみようかと思う。


私が13歳の頃、知り合った人たちと、
今日、何十年ぶりかに向かい合い、
お酒を飲んだ。
もちろん一緒にお酒を飲むのなんて初めてだ。
当時、私は、その劇団の中でひとり子供だったから。
32歳という年齢に、驚いていたけれど、
みんな揃って、変わってないと言ってくれた。
みきちゃんは、当時から、大人っぽかったからね。
そうか、私は、大人っぽい子供だったのか。


14歳になった頃、小劇場で芝居をする劇団に入団した。
近所で習っていたジャズダンスのスタジオの公演に、
その劇団の主宰の人がたまたま演出をしてくれたのがきっかけ。
私はダンスを愛する子供だったので、
その公演のときに出会ったダンスの振り付けの先生が、
その演出家と一緒にふたりでやっている劇団に、
くっついていってみただけという単純な理由。
私の通っていた学校は私立で、
芸能活動は、もちろん禁止。
「アニー」というミュージカルに出演するにも、
たくさんの会議にかけられ、親も何度も呼び出され、
校長先生に名前も覚えられつつ、
特例として、やっとこさ許可が下りた。
大変だった。
しかも、地方公演は、夏休みの学校行事と重なり、あえなく降板した。
子供ながらに、いろんなしがらみに最初に悩んだのがこの頃だ。


でも、私はめげなかった。
チケットを取り扱ってくれる、
「ぴあ」に名前が載ってしまうとやばいため、
芸名を使っていた。
そして、劇団の公演が学校のある日の場合、
どうにかして学校を休んだ。
私よりも女優であった母に、
その日の朝になると、学校に電話をかけてもらった。
まっとうには無理なので、風邪をひくしかない。
今となっては、
母の学校への電話の名演技があってこその私の人生だ。
すべては、母という偉大なる女優のおかげ。


そんなこんなで、私は中学生の頃から、
大人に交じって、演劇界に身をおいていた日本で数少ない、
変わった少女だった。
学校ではとても勉強ができ、成績のいい、隠れ不良少女だった。


子供の頃、私の前にいた、舞台を愛していた大人たち。
当時は、今の自分の年齢くらいの人たちだったんだなぁ。
みんな、今もプレイヤーとしてこの世界にいる。
タップダンスの世界にいたり、クラウンの世界にいたり、役者だったり。
この人達をあんな小さな頃に見てしまったから、
私は、ずっとずっと、何十年もここにいるのだろう。
私の見てきた舞台人。
面白いことに、同じ世界にいれば必ず出逢う。
2年前の芝居で、ジャグリングをやることがきっかけで、
私の師匠に再会した。
そんな再会があると、不良少女でよかったなぁ~と思ったのだよ。


当時、私に、芝居やパントマイム、タップなどから、
舞台に関するあらゆることまでを教えてくれた、
作家であり演出家でありプレーヤーだった人は言った。
舞台人に必要なのは、体力とリズム感だよ。
うん。
今、舞台人としてこの世界にいる人間として、
とても、共感できる言葉だった。
体力とリズム感。


昔は、一緒にお酒も飲めなかった子供だけど。
今、たまたま、私は13歳の役と向かい合っている。
当時の不良少女だった自分に、今日、再会し、
自分のルーツの面白さに、
あらためて、感動してしまった。


大人の中で必死に、舞台に向き合おうとしていた少女。
当時、自分が一体どんな子供だったのか、
全く、覚えてはいないけれど、
一緒に劇団員をやっていて、芝居を作っていた仲間達が、
みんなそろって言ってくれた言葉。
その変わってないという言葉を、
私は、今、信じるしかないのだろう。
20年経っても変わっていない魂。 


これからも大切に舞台の上で生きようと思う。
嘘をたくさんついても、この世界にいたかった、私の魂。 つづく


もう時効だよね。(独り言)



2009じぶんをつくる [日記]


新年のご挨拶が遅くなりました。
あけましてずいぶんたちましたがおめでとうございます。
HPが消滅してしまい、ご挨拶の場を作るのに四苦八苦、
こんなに時間がかかってしまいごめんなさい。
今年ものんびりのんびりのんだりのんびりしていこうと思います。
どうぞよろしくお願い致します。


昨年は、とても面白い1年でした。
う~~ん、人生って面白い!
と、ばあさんになっても思い出す1年でしょう。
でも、私の生命線はとても短いので、
ばあさんになれるかどうかはわかりませんが。
役者としては、気持ちに大きな変化のあった1年でした。
春の公演は、劇場に行くのがいやになるくらい厳しい役どころで、
精神的に鍛えられまくった公演になりました。
日々鍛錬。
3時間、ひたすら客席に向かって語り続け、
舞台にいることが実に自然に、当たり前に、なりました。
次の公演では、風邪をひく役で本当に体調を崩したりもして、
舞台の難しさをあらためて感じました。
毎日舞台に立つためには、健康第一。
冬の公演では、もしかしたら、ずっとずっと役者をやりたいかもと、
思えるような劇的な瞬間がたくさんありました。


こうして、ちょっと振り返るだけで、
激動の1年。
初めて映像でもしっかり芝居をする機会をいただいたり、
コンプレックスだった自分の声を、声のプロであるとあるアーティストの方が、
こうこうこういう理由でいいと話してくれたことも、
私の役者人生にはとっても大きな出来事でした。
数年前の時点では、昨年中に役者を引退していたかもしれなかった。
でも、いろいろなことがあって、まだ私は舞台が何よりも好きでいられている。
ほんのちょっとしたきっかけの連続で、じぶんが変わりつづける。
プライベートでは、一人暮らしをはじめました。
住む街が変わったことで、たくさんの変化があったけど、
何よりも、いっちばん変わったのは、冷蔵庫!
自分だけのための冷蔵庫。
自分で買って冷蔵庫に入れたものは、全部自分のおなかに入る。
体調を崩して5キロ痩せたのですが、
一人暮らしでマイ冷蔵庫になってから、
しっかり食べるようになって、5キロ太りました。
誰かにごはんを作って、誰かとごはんを食べることは、
本当に幸せなことだったなぁ~と思うけれど、
マイ冷蔵庫も悪くない。
買い物をして冷蔵庫に入れることが本当に楽しい。


じぶんをつくること。
今はこの時間を大切に、
母性を自分のためにめいっぱい使おうと思う。
自分を育てる。
そして、誰かとごはんを食べる時間を、
あらためて、もっともっと大切にしたいと思います。


冷蔵庫に入れた食べ物が自分の血となり肉となり、
私を形作るように、
人との出逢い、人との会話、人との奇跡のすべてが、
私をつくる。
大切な人がたくさんたくさん増えた1年だったから、
今年もその人たちと、そしてまた新たに出逢った人たちと、
たくさんたくさん話をしよう。
そして、また1年を振り返ったとき、
ずいぶん、でっかく育ったなぁ~と思えるように。
本年もどうぞよろしくお願い致します。 つづく
今年も毎晩、楽しいお酒を。やっぱりこれだね~。(独り言)



まいっちんぐな人生よ [日記]


いつも薔薇色に燃えて、この胸ときめく、
つぼみから花へ、
私は真知子~。


ダブルハーツという会社にいられたこと、
自分にとっても大きかった。
砂川さんに稽古で初めてまいっちんぐと呼ばれたとき、
岩見沢くんと馬鹿なネタを企んだとき、
何か大きなものに救われたのではないかな。
私も真知子と共に。


今、年末を、やるべきこともなく、ぼーっと過ごしている。
実家には電車で1時間で帰れる田舎のない東京っ子で、
新幹線に乗って実家に帰ったり、
結婚が決まって相手の実家にご挨拶とか、
みんなの話を聞くだけで、自分にはなんにもない。
だから、お正月はさみしくなるから、
じっと身を固くして何も感じないようにして過ごす。
お酒を飲んでテレビを見て寝て、
いろんなことを思い出さないように過ごす。
仕事初めよ、やってこい。


ダブルハーツのクリスマスイブ。
奥さんがいる人も、バツイチの人も、別居中の人も、
みんな揃ってパーティーをする仕事仲間。
そんな会社はないだろうが、あの人たちはそうなんだ。
人生における仕事の大きさ。
仕事のパートナーの存在の大きさ。


クリスマスなんてどうでもいいと思ったんだけど、
ささやかな私からのクリスマスプレゼントは、
ダブルハーツのふたりと、
兄さんと岩見沢くんと、
いぶきちゃんと根室さんのお母さんに贈った。
あと小道具部の後輩と。
これって幸せすぎる。
贈り物を選ぶときの幸せ。


何があっても大切なものは、
私にとっては仕事かもしれない。
そんなこと、この公演をやるまでは、思いもしなかった。


結婚指輪。
真知子を演じるときはしなかった。
私自身は結婚も離婚もしたことはないけれど、
愛情だけではどうにもならないものの存在を、
この歳になってやっと理解できるようになった。
愛が1番大切でも、愛だけでは動かない。
情というものの効力のなさも。
ただ思い知らされただけだけどね。
プライベートでいろんな引き出しが増えるおかげで、
最近、幸せになれない役を呼び込みすぎだ。
愛する旦那についてこいって言ってもらえたら、
私なら、ついていく。
夢を追う男の人の応援は私の生きがいだから。
でも、指輪をしなかったのは、
ついていかないことが応援だったり愛だったりもすることもわかったから。
人生に正解なんかないけど、
指輪を外して仕事をしようとする真知子の強さは激しく見習わねば。


何かあっても、
何があっても、
まいっちんぐと可愛く困って、
人の傷みのわかる、
自分の状況はひとまずおいといても、真っ先に、
誰かを支えることに、
誰かを笑顔にすることに、全力を注ぐ女。


恵庭真知子に幸あれ。
祈ってるよ。
あなたを見習って、
まいっちんぐと困りながらも生きていきます。
仕事、仲間、愛するすべての人と共に。 つづく


幸せな結婚ができる役をやるか、幸せな結婚ができない役をやるか、
一体どちらが痛くないのだろうか。(独り言)



自転車の自由 [日記]


最近、よく地図を見る。
東京の自分の家の周りの。
舞台上でも毎ステージ、10秒くらい東京の地図を開くとこがあって、
毎日、その瞬間が待ち遠しい。
実家には、トイレに日本地図と世界地図が貼ってあって、
小さい頃はトイレから出られなくなっていた。


私は地図が読めない女というより、
地図がないとだめな女だ。
頭の中だけで地図を広げるのは苦手。
引っ越しをしてから、
自転車で行動することが多くなり、
地図上の道を指で辿ってから、
おっきな道路に出て、
予習した通りに、目的地までひたすら自転車を漕ぐ。
2次元の地図の道では想像しなかった坂道に出くわしたりもする。
山あり谷あり。
往きにしんどいと、帰りは格別に爽快。
往きに爽快だと帰りのことが心配だったり。
免許は持っているけど、車の運転はしないので、
今までは、ひたすら電車移動だった。
電車の路線図を見るのも好きだ。
あそこで乗り換えてこうやって行ってみよう、
線路は続くよどこまでも、
新幹線に乗れば、名古屋も関西も頑張れば九州にも行けるしね。


でも、自転車に乗り始めると、
決められたレールの上とじゃあ、全然、違う。


自由。
この大地の上で、大空の下で。
頑張ればどこまでも行ける。


友達のほとんどが、
旦那さんと出会い、子供と出会い、
自分の家庭を作り始めている。
生まれる家は選べないけど、
これから作る家は自由だ。
子供の幼稚園を真剣に迷うなんて、
なんてなんて幸せな悩みなんだろう。
私はいまだ、
たったひとりのパートナーと、
自分が未来に1番の愛を注ぐのであろう子供に、
出会うことが出来ていない。


それは親不孝かもしれないし、さみしくて不幸なことかもしれないけど、
最近、思うんだぁ。
なんて、贅沢な未来なんだと。
今まで好きになった人、愛した人との出逢いは、
自分の何もかもが変わってすべてが輝く出逢いだった。
そんな出逢いがまだまだこれからやってくるかもしれない。
そんなこと言ってても、
こないかもしれないし、負け惜しみみたいだけど、
私はやっぱり自由なんだな。
自転車ひとつあれば、地図の端から端まで自由な道を通って行けるように、
自分の心をしっかり持っていれば、
それだけで、まだまだ人と出逢える。
愛することができる。
愛することは幸せだ。
愛される可能性だってあるかもしれない。
自由に。


将来の生活が不安だったり、
ってそんな不安にエネルギーを注ぐのは、アンラッキー。
帰りの坂道はそのときに頑張ればいい。
どこまでも行こうよ。
この命が終わるまで。
きっときっと何かが待っている明日。 つづく


孤独と自由は似てるよね。ということに想いを巡らしてみただけよ。(独り言)



32 [日記]

とてもしあわせです。
女としての幸せは・・・どうなんだろ、まだまだだけど、
生きているとおもしろいことがいっぱいで、
驚くばかりの毎日だ。


出逢いも別れも、喜びも哀しみも、
ぜんぶぜんぶぜーんぶ、
意味のあることで、
あ、だから、あのときあんなに泣いたんだとか思うと、
明日があることは、
本当に本当に、おもしろい。
今も、よく泣くけど、明日のための涙は、
惜しまなく流さないとね。


もう一生、笑って話せないだろうななんて人と、
また、笑って話すことができたりするのは、
時間の優しさ、明日の優しさ。
あのとき、お互い、傷つけ憎みあっても、
同じ世界で生きていれば、また逢える。
大切な大切な出逢いだったと、心から実感して、
その出逢いを、その人のことを、いとおしくて仕方なくなる。
ほら、おもしろい明日がやってきた。
あの頃は、想像もできなかった明日が。


また今日、誰かと出逢い、
お酒を飲んだりしながら、
悩んで悩んで、
笑いながら、少しずつ前に進みたい。


母がもうすぐ60歳になる。
60ってやっぱり、4050とは違うわね、
って話をしている母。
母が私の歳には、私はもうとっくに生まれていて、
女としての人生、充実してたと思うけども、
でも、私にも60歳までに、
まだもう少し、明日がやってくるんだなって、
勇気が湧いてくるんだ。


絶対、楽しいことがあるよね。
まだまだ嬉しいことがあるよね。
32歳になって思うこと。    つづく


人の幸せを心から願える女になりたい(独り言)


笑進笑明なえがお [日記]

からだとからだは遠くにいても、
想い続けていることが大事だったりはしないかい?
そんな感情が何にも生み出さないことは知ってるよ。
くだらないと笑われるかな。
でも、そんなゴミみたいな感情が、
明るい明るいエネルギーになったりするんだよ。
誰かの人生を明るく照らすこともあるかもしれない。


私の大好きな高知に住んでいる書家の、
日浦駿介くんに逢うことができた。
たとえば、合コンで、新しく誰かと知り合う機会なんてたくさんあるし、
人と人が出逢うなんて、日常茶飯事で、
これだけの人が同じ世界に生きていれば、
出逢うなんて当たり前のことでたいしたことではないかもしれないけど、
私がしゅんくんと出逢えたことは、
涙が出るほど、いとおしくて嬉しい瞬間で、
これまでのすべてのことに感謝しなくてはいけない出来事だった。


しゅんくんと、なぜ出逢うことが出来たかを辿っていくと、
恐ろしいほどの偶然の積み重ねだったりする。
私が役者を志して、劇団に入団し、
自分の意思ではどうすることも出来ないキャスティングで、
たった2つの役をやったことがきっかけだったりするから。
わかる人にはわかる「BLACK FLAG BLUES」という芝居で、
砂記という役をやりつつ、
ダブルキャストだったので、もうひとつのチームのときに前説をやったこと、
そして、「スケッチブック・ボイジャー」という芝居で、揚飛という役をやりつつ、
これまた前説をやりながら、劇中歌のコーラスのレコーディングをしたという、
はたから聞いたら、なんのことやら、全くわからない偶然で、
音楽というものに関わることが出来て、
そんなことがめぐりめぐって、しゅんくんと知り合うきっかけが生まれた。


しゅんくんは、高知に住んでいる書家。
10万人に数名の難病と闘っている車椅子の青年。
「家族性ケイ性麻痺」。
治療法はなく、進行性のものだそうだ。
しゅんくんは、今、歩くことも話すこともできない。
私がしゅんくんと出逢ったのは、
音楽がきっかけで、しゅんくんの作詞した曲を聴いて、
単純に心が揺り動かされた。
しゅんくんが病気とか車椅子とかは知らないところで。
その後、しゅんくんとは、高知と東京という遠距離なのに、
メールで会話をすることができるようになった。
文明の利器ですなぁ。
そう、実際のしゅんくんは話せないのに、
どんな風にしてメールを打ってくれているのはわからないけど、
メールで、ごく普通に、19歳の男の子と、31歳の私が、話をしていたのだ。
想像すると、怖くなる。
私はしゅんくんのことは、何もわからない。
どんな風に生活をして、どんな風に19年間生きてきたか。
ご家族の支え、
しゅんくんの心の強さ。


笑進笑明。
単純にしゅんくんの言葉に突き動かされて、
私はしゅんくんに出逢ってしまって、
何度も、メールで話をしていた。
本当に辛い時に支えてもらったこともあったんだ。
逢いたいね。
いつか必ず逢いに行くからね、と。


私が高知に行く前に、
それが、叶ったのが、11月5日。
しゅんくんの作詞した曲がCDになって全国発売される。
その日にレコ発ライブが行われて、しゅんくんが東京にやって来るのだ。
私はたまたま移動日で、札幌から神戸に行く途中に、
東京に寄り道する時間があるらしい。
奇跡的に、神様がスケジュールを開けてくれたのだと思う。


しゅんくんが難病であることは、もちろんわかっているけど、
そんなのは感じないところで、出逢ってしまって、
私はしゅんくんを書家として、ただ尊敬していた。
実際、ライブハウスにつくと、
そこには、わかってはいたけど、
車椅子に乗ったしゅんくんがいた。


私の想像より、大きかったな。
身体もそうなんだけど、
存在が。
写真でしか見たことがなかったから。


しゅんくんは私のことを美喜ちゃんと呼んでくれている。
それは、かなり年上だけど、そう呼んでと始めに約束しちゃったから。
ばたばたと挨拶をした。
会話の方法はしゅんくんに聞いていたけど、たくさんの人がいて、
私からの挨拶だけで終わってしまった。
しゅんくんはたぶん、みきちゃんをわかってくれた。
笑顔だったから。
出逢ってしまった。
メールでなら普通に会話をしていたしゅんくんは、
やっぱり、話すことはできない男の子だった。
でも、心はわかっていたよ。
メールでたっくさん話をしてくれたしゅんくんの目と、
笑顔を見たら、言葉なんかいらないと思った。
驚いたのは、ご両親。
しゅんくんとメールでやりとりをしていた私を、認識してくださり、
やっと逢えたぁ~~と抱き合って感激してしまった。


ライブはもちろん素敵だった。
彼の気持ちを歌声にしてくれる中川あつおさん。
何回かお話をしていたけど、
その日は彼にとっても特別だったと思う。
絶対にみんなが彼を応援する。
なにか自分に出来ることはないかな。
そんな気持ちのこもったライブだった。
会場には、しゅんくんが、こころを込めて、
ゆびに筆をつけて書いた歌詞の一言一言が壁一面に貼られていた。
そんな空間に立たされたら、前を向いて、しゃきっと生きるしかないよな。
私なんか。


しゅんくんはその4日前に20歳の誕生日を迎えた。
私は誕生日プレゼントに、選びに選んで、
自分が出演している舞台のDVDを2本プレゼントした。
いつか必ず、生の舞台を観に来てね、という約束つき。
またひとつ、自分が生きる目標が出来てしまった。
しゅんくんに観てもらうまでは、頑張らないと。
誕生日って、歳を取れば取るほど、
その人のご両親に感謝する日になってきてる。
自分が子供を生んでもおかしくない年齢になってきて、
人がこの世に生まれることを感謝する気持ちがどんどんと、
強くなってくるから。
20歳になったしゅんくん。
おめでとう。


ライブの後に誕生日のお祝いをしたときに、
そばにいたご両親が、嬉しいと、涙を流していた。
一緒にお酒を飲みながら、
大変だった頃、泣いてばかりいた頃があったと話して聞かせてくださった。
そんなご両親の姿に、胸が詰まった。
20歳まで立派に育ったしゅんくんと、
しゅんくんの希望溢れる未来と、
その未来を大切に支えて育ててきたご両親に、
ありがとうという気持ちを心からたっくさん贈りたかった。


しゅんくんは、膝に文字を書いて話をしてくれた。
ゆっくりゆっくり文字が生まれる。
彼の書いた「やくそく」という言葉。
いつも簡単に使ってる、約束という言葉。
目に、心に、焼きついている。
高知でしゅんくんの書き下ろしに行ってみたいよ、
色紙、持って行けばいいの?なんて話をしたら、
「からだ」って書いた。
からだだけ持ってこいと。
わかった。必ず、高知に行くよ。


しゅんくんのまわりにいる人はみんなきらきらと素敵だった。
お姉さんがしゅんくんと話している姿。
すてきだったなぁ~。
指なんて使わずに、ほんのちょっとの言葉と、
目や顔の動きで、気持ちが伝わる。
そうだよね、言葉なんて、ちょっと便利な手段なだけなんだよね。


別れる時、もう一度彼は、
膝にゆっくり「あ」「り」と書いてくれた。
わかったよ、わかってる。
こちらこそ、ありがとう。
しゅんくんのいるこの世界に感謝。


しゅんくんの笑顔、最高だった。
そんなしゅんくんは、ライブでこう書いた。


「今はありがとうしか言えない」
「みんなの笑顔が大好きです」


笑進笑明、最高のみんなの笑顔。 つづく


はぁ~出逢えてしまった。(独り言)


私の人生を変えたしゅんくんの言葉。
是非、みなさんにも知ってほしい。
興味を持った方、是非、HP観てください。
http://shoushinshoumei.com/


11月9日朝のNHK総合7:00~7:45の「おはよう日本」でも、
紹介されます。そちらも、早起きして、見てください。


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