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おひっこし [日記]

いろんないろんなことがあり、
祖母と2人暮らしをしていた家から引っ越して、
1人暮らしを始めて、もうすぐ2年が経とうとしている。
まだ2年しか経っていないなんて信じられないくらいに、
それからもいろんなことがあった。
たった1人の夜をいくつもいくつも過ごし、
この2年で大切なものが改めてわかったし、
少しだけ、ひとりで立てる人間になり、
少しだけ、誰かと一緒でないと立てない人間になった。

契約更新の季節。
もう2年、ここで踏ん張ってみますかな?
私が舞台に立ちながら1人で暮らすには、
しっくりくるこの場所で。

衝動的に直感で即決で決めたこの家を、
私はとても気に入っている。
最初は慣れなくて気になったいろんなことが、
私の心からはすっかり消え去って、
今はこの場所以外は考えられなくなった。
上を見たら、きりはないんだけど。
いつかは、もっと広いお家に引っ越したいなんて野望もあるけど。
引っ越してすぐに、北海道でドラマの撮影があった。
台本もぎりぎりで、緊張もあり、飛行機は早い時間で、
ぴりぴりと不安で眠れなかった出発前夜、
隣の住人が朝まで大騒ぎをして、
半泣きで大家さんに電話したのも懐かしい。
なんでこんな家に決めてしまったんだと落ち込んだ。
今では、そこまでどんちゃん騒ぎをすることがなくなったお隣さんの、
夜中の笑い声が聞こえないと心配になる。

2年間の大切な思い出たちと一緒に、
ここでしっかり生きて、
もっともっと新しい気持ちを感じていく。

自分の住むとこは変わらないけど、
このひめごとおかうちは、お引越し。

大人の事情。

私は何年生きても、大人になれなくて、
転機を迎えても、ひとつも変われなくて。

でも、気持ちを新たにお引越し。
変わっても変わらなくても、
自分らしくがいいじゃない。

七夕の夜に何を想う?
みんなの願いは叶うかな?
そんなにすぐに叶う夢じゃなくとも、
一歩一歩、少しずつ少しずつ、
前にむかっているかな?

私の願いはいつも同じ。
劇団に入ったときから変わってない。
いつもたったひとつ。
短冊を書くことがあったり、
初詣に行ったり、
旅先で神社に行ったり、
絵馬を書いたり、
いろんな場所でいろんなときに願うこと。

まわりのみんなが笑顔でいられますように。

いよいよ夏のツアーが始まる。
観に来てくださったお客さん、
共演者、スタッフ、
みんなが笑顔になれますように。

私は生きていることが許されるのが不思議なくらい、
だめな人間だけど、
私のまわりには、素晴らしい人がたっくさんいる。
笑顔が素敵な人がたくさんいる。
しあわせ。

ここにきてくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。

私もあなたを笑顔にできるように、
この命を燃やします。
新しいこの場所で。 つづく

ソネットさん、よろしくです。(独り言)

天国のお姉ちゃん [日記]

2000年の「また逢おうと竜馬は言った」で、
私のお姉ちゃん役だった女優さん。
今、天国から見てくれてます。
私はそう信じてる。


私は元気にやってます。


危なっかしい人生を送ってる私を、
どう思ってるかな。
話がしたい。ものすごく。
愛に生きるお姉ちゃんと私は、
ずいぶん似てきたんじゃないかな。


あれから10年が経って、思い出の作品が再演される。
まさか、私が出演するとは、お姉ちゃんも驚いてるかな。
去年の夏、「風を継ぐ者」では、
お姉ちゃんと同じ役を私が演じた。
びっくりしたかな。
老けたね、って思ったかな。
でも、お姉ちゃんは年を重ねることを、全く怖がらず、
生き生きと美を追求してた。
実は、お姉ちゃんの年をよく知らない。
そんな感じで、一緒にメイク用品について意見を交換したり、
美味しいごはんを食べたりしたよね。


私はお姉ちゃんの年を超えたのかな?
調べてみよう。


妹が成長した姿を見てください。
がんばるから。
絶対に観に来てね。


今日は命日。
いつもずっと想ってる。


私は今、強い気持ちでこの作品と向き合ってる。
何としても、面白い芝居にしなくてはならないのだ。
まずはお姉ちゃんに楽しんでもらうために。


台本には、衣裳を着たきらきら輝いてるお姉ちゃんの写真を、
大切にはさんで。
きれいだね、お姉ちゃん。
私も負けないぞ。 つづく


ふたりの台詞のやりとり、ひとつひとつが懐かしいね。(独り言)


せんしゅう楽 [日記]

今年の長い長い休みが終わる。
終わらないような気がしてたことにも、
必ず、終わりは、やってくる。


たくさんの変化があった2ヶ月だったけど、
へってしまったもの、
なくしてしまったものはひとつもない。


我が家にふえたもの。
ベージュの寝具のカバー。
白いiPhone。
レンガ色のソファーカバー。
真っ白な蓋つきのごみ箱。
チェリーレッドのル・クルーゼのお鍋。


私にふえたもの。
お気に入りの鞄や靴や麦わら帽子。
ギターの練習時間。
練習して弾けるようになった、
とあるアーティストの曲、5曲。
時間ができたら必ず行きたい場所、
高知の桂浜。
笑顔で散歩した時間、たっくさん。
恋を失う経験。
しあわせ。
両親と過ごした時間。
旅行の思い出いっぱい。
劇団のお客さまと触れ合う時間。
人を深く深く深く愛する気持ち。
料理のレパートリー、少し。
前髪。
大事な人。


書ききれないほどに、増えて、変わって、
私は大きくなった。
子供じゃないのに、まだ大きくなっちゃう。


明日が千秋楽。
終わる日。
めでたい日。
そして、出発の日。


休みの間、ひたすら笑顔でいられたから、
これから、どんな日々が待っていても、
ぐるっぐるに縛られて、
どこにもいけなくなっても、
心だけは自由に、感情のままに、
ふわふわ飛んでいこう。
何も見えない不安な未来に向かって、
手が繋げなかったら、心をしっかり繋いで。


あなたが生きている世界に生きられる明日は、
きっと楽しい。
だから、しっかり、私も生きる。 つづく


さて、いよいよ明日は千秋楽。
終われば稽古開始。
劇場で大切に1日を過ごそう。(独り言)


親が死ぬまでに私は [日記]

父が63回目の誕生日を迎えた。
しかし、63にもなるのに、おじいちゃんにもなれていない。
ごめんなさい……。
姉が去年、バージンロードを一緒に歩き、
ちょっとだけほっとしたけど、
親孝行らしいことは何もできてない私だから、
せめて、誕生日には一緒にお酒くらい飲みたいなと思い、
高知旅行の計画を立てるときに、
父の誕生日には帰ろうと飛行機を選んだ。
ささやかなプレゼントを母とふたりで選び、
誕生日当日には、
両親と祖母とのんびり一緒にごはんを食べることが出来た。
父は長崎の方に、私は高知に一人旅をした後だったので、
お互いの旅のお土産話をしたりして。
私と父は、好きなことがとても似ている。


あと何回、お祝いできるのかなぁ。


先日、母が私の部屋に遊びに来た。
実家暮らしのときには、ばたばたと仕事に追われて、
ろくに料理を作ったりもしていなかったので、
こんな時くらい、と思い、
母に料理を作って食べてもらった。
あぁ~もっともっと、
いろんなものを作って食べさせてあげたいなぁ~。
子供の頃、好きだった料理のレシピを聞きながら、
育ててもらった恩返し、全然できてないなぁと思う。


でも、まだ、遅くはない。


ごはんの後、母と街をぶらぶらしながら、
「親が死ぬまでにしたい55のこと」
という本のことを教えてもらった。
母の母、つまり祖母も元気なので、
母は、そんなことを思って本屋さんで手に取ったら、
親が60になったときに、という内容で、
あなたたちの世代に向けての本だったのよ、と母は笑った。


その本を買ってじっくり読んだわけではないが、
まずは親と過ごすことができる残された時間の計算から始まる。
親と離れて暮らしている場合、
例えば、年末年始、夏休みなんかに実家に帰り、
その数日間の何時間かを一緒に過ごし、
それをあと20年できると考えて、それを合計してみる。
すると、実は、余命わずかと同じ計算になってしまう、という。


離れて暮らしていると、
確かになかなか一緒に過ごす時間は取れていない。
多めに考えても、
1ヶ月に例えば平均して10時間一緒に過ごせるとして、
1年で120時間、実は、それはたったの5日分。
それが20年だとして、100日分だから、
わずか、3ヶ月と少しという計算になるのだ。


確かに、月に1度、
一緒にごはんを食べられればいいかな、くらいの私の場合、
それを計算してしまうと、怖い数字が出てくる。
その本には、後悔しないように、今のうちから、
一緒にお酒を飲んだり、
両親の馴れ初めを聞いたり、
自分が生まれた時の話を聞いたり、
親に手料理を食べさせたり、
やるべきことを後悔しないようにやりなさいということが書いてある。


私の場合は、ほとんどのことをやれていたけど、
両親ってことに限らず、もちろん、祖母に対してもそうだし、
友人、知人、
誰もがいつまでも命があるわけではないってことを、
そして、自分も生きているうちにできることは限られているってことを、
実感するようになった。


私の友人には、すでに、ご両親を亡くされている人も多く、
そんなことを考えられただけで自分はとても幸せだと思う。
誰にでも、寿命があり、
誰とでも、別れがやってくる。
時間は確かに限られていると思う。
1年に1回しか会えない人とか、
1年中会っていても、ろくに会話をしていない人とか、
両親に対してだけでなく、出逢った人すべてに対して、
今、自分がやりたいと思う、できる限りのことをするべきだと思う。
気付いたときに。


生き急ぐことはしたくないけど、
身体が動くうちに、心が動くうちに、
やりたいことを思いっきりやろう。


逢いたい人に逢いに行く。
今、逢いたい人は誰だろう。
これから、逢いたい人は誰だろう。
今、感じたいことを大切に。


そんなことを心がけて、この2ヶ月の休みを過ごした。
あと、10日ほどで休みが終わる。
でも、休みが終わってからも、
毎日の一瞬一瞬を、大切に積み重ねていこうと思う。
行動あるのみ。


と、ちょっと真面目で行動的なことを考えながらも、
家でひとり、あと何百回使わないと元が取れないぞ、
って計算しちゃう最近買ったお気に入りのル・クルーゼのお鍋で、
コトコト野菜を煮たりしてる。
考えなしにてきとうに野菜を入れても、
火がまろやかにまわり、野菜が優しくなるのを眺めて、
にこにこしてしまう。


動いたり、休んだり、
すればいいんじゃないかな。
時間を大切に思い。
そして、いろんな人のことを思い出しながら。


なんか、最近、しあわせだなぁ~と思う。 つづく


終わらないと思っていた休みが終わる。
ここから先は、止まらない。(独り言)


ポケットに届け [日記]

ついにスマートフォン、iPhoneを持つことになった。
うすべったいつるっとぴかっとひやっとした機械を、
この手のひらの中に持っているだけで、
とんでもないことができてしまいあわあわする。


新しい機械といえば、
初めてポケベルを持ったときのことを思い出す。
今まで、連絡手段といえば、家の電話で、
自分にかかってくる電話を家族に取り次いでもらって、
長電話をしては怒られて。
待ち合わせはアクシデントがあると大変だったな。
でも、ポケベルは、
個人的にメッセージをその人のポケットに送れるようにしてくれた。
すごくうれしいことだった。
公衆電話にテレカを入れて、
ハイスピードで数字を使って文字を打つ。
*2*2を頭に付けると、
数字がカタカナに変換されて送れるんだったな。
ちょうど高校の終わりから、大学に入った頃まで、
青春ど真ん中を、ポケットにポケベルを入れて、
ぶるぶるさせながら過ごした。
公衆電話に走りながら、
いつか、いつの日にか、
ポケベル自体で文字が打てるようになればいいなと、
そんな未来を夢見る少女だった。


初めての彼ができたときも、ポケベルで連絡を取っていたなぁ。
もともと、彼には彼女がいた。
私と彼女と間違えて、数字が送られてきて、
機種が違うからカタカナじゃなくて数字だったけど、
なんとか解読できて、彼女に送ったものだとわかり、へこんだりもした。
その後、しばらくして、無事にお付き合いできることになったけど。
相手のポケベルの番号を暗唱していた頃の、
懐かしい思い出。
友達の電話番号とかポケベル番号とか、
たっくさんの数字が脳みそに刻まれていた時代。


その後、PHSを初めて持ったときは、いよいよ来たと思った。
公衆電話よさらば、テレホンカードもさらばじゃ。
すごい、すごいよ。
ちょうどキャラメルボックスに入る少し前の話。
この電話があれば、ここから文字が打てる。
Pメールというもの。
もういちいち電話のあるところへ行かなくていいんだ。
っていうか、線がつながってない、個人の電話だ。
お部屋でも、外でも、自由に電話ができる。
自分だけの電話。
今では当たり前のことなのにね。


ラブレターといえば、切手をはって郵便だったけど、
まだEメールというものがない青春時代、
私の場合は、手紙からFAXになった。
毎日毎日、好きな人に、レポート用紙に手書きで手紙を書き、
家の電話から、相手のお家にFAXしていた。
郵便と違い、送るのと受け取るのに時差がない。
メールがないことが、今では考えられないけど、
そんな時代もよき時代。


携帯の次は自分のノートパソコン。
でも、パソコンって、ウイルスに感染したりがすっごい怖くて、
いまだに全部を理解できないところが、
私には手に負えない感じがある。
何年経ってもさっぱりわかってあげられない。
古くなってきていまいち調子の悪い子を、
買い換える勇気もなくて、
パソコンを開く時には、
えいや!って心の中で掛け声をかける毎日。
立ち上がるのに時間がかかるから、
なるべく1日1回にしたり。
便利なものというよりは、必要にせまれらて、
仕方なくお付き合いしている道具。
私のラブレターはFAXからパソコンのメールになったし、
これがあるおかげですごいことができているはずだけど、
その便利さの実感もあまり沸かずに、
すでに10年くらいが経とうとしている。


さて、今、ここにあるiPhoneさんは、
電話もできるし、どこにでも持っていける、
ポケットに入る、私にとっては小さなパソコン。
タッチパネルで文字を打つのは、
最初にパソコンのキーボードを触ったときのように不自由で、
その慣れないからの困難さと、時代の流れの早さに驚きを感じ、
ついついいろんなことを思い出してしまった。
いつの日にか、ぱっぱかぱっぱか、
タッチパネルで文字が打てるようになり、
この文章も、キーボードで書かなくなる日がきっと来るんだろうな。


旅先でも、電車の中でも、道を歩いていても、
誰かのブログを読んだりして、
文章を書いて発信したりして、
ずっと世界とつながっていられる。
人の目を見て過ごす時間は、
とても大切だし、こんな時代だからこそ、
もっともっといとおしい時間になるのだけど、
でも、今の私には、
この小さな機械が味方になってくれるような気がする。


地球の外にいる宇宙飛行士さんから、
今の地球の写真が送られてきて、
それを手のひらの中で見られる幸せ。
すごい世の中になったもんだ。
遅れつつも時代の流れをぼんやり追いかけて、
すごいな~すごいな~と感じていかないと。
あの頃、想像していた未来の中に、
私は生きているんだから。
公衆電話に向かって走っていた私の未来。


あらためて、あなたのポケットの中に、
自分の想いを届けられる幸せを感じる。
「送信」の文字を、そっと人差し指で触るとき、
届け、届け、届けと願う。
あなたの胸のポケットに入れているそれが、
ぶるぶる揺れて、
私の言葉が届くとき、
あなたの胸に、私の想いが、まっすぐに届くことを祈って。 つづく


つながってるね、iPhone。(独り言)


正解のないこと [日記]

劇団に誕生日が全く同じ後輩がいる。
実は、私は弟とも誕生日が一緒なので、
小さい頃から、星座占いや誕生日占いのようなものも、
今日は弟と一緒に不運なのか、
今年は弟と一緒に好調なのか、
いや、やっぱりこういうのは、全然あてにならんぞと思ってきた。
私と弟の場合は、生まれ年や、男女の違いもあるだろうし。
しかし、その劇団の後輩の女の子は、7つも下だけど、
それが、性格なんかが、実によく似ているのだ。
名前も、みきちゃんというだけあり、
こりゃ運命だなと思う。
その子も、今、大きなお休みを過ごしているのだけど、
自分の数年前を見ているかのような行動力。
今日は、どこどこに行こうと思い立ち、
ぱきぱきとひとりで行動している。
きれいな写真を撮ったり、美味しいものを食べたり。


今、私は、ほわほわしている。
ひとりでどこかに行ったら、
帰ってこられなくなっちゃいそう。


そのかわり、7歳、年取った方のみきちゃんの、
休みになってやりたいことといえば、
人に逢う、ということ。
ひとりで身軽に素敵なとこに旅行に行きたいなとも思うけど、
まずは、家族との時間を大事にしたいし、
久しぶりな人に会ったり、ゆっくり話せなかった人に会って、
たくさんたくさん話をしたい。


先日はお世話になっていた照明さんに2年ぶりに会い、
嬉しくて嬉しくていっぱいお話しした。
昨日は誕生日が一緒の弟が、
都心に素敵なマンションを買ったので遊びに行った。
なんて立派な弟なんだろう。
やっぱり、運命、全然違うじゃない。


最近、ひとりの時間はたいてい料理をしている。
実家暮らしも長かったし、
1年で100食近くは劇場でお弁当を食べているので、
33歳にしては、料理はうまくないと思う。
一応、料理教室には、その昔に通ったことがあるので、
和洋中は、一通りは作れるけども。
料理に正解なんかないのにねってことに気付いたのは最近だな。
青春時代に、好きな人にまずいと言われたのが忘れられず、
人に料理を作れないトラウマがあったくらいだし。


私の尊敬する人から、
料理は音楽を作るのと同じだと言われたことがある。
調味料で味を足して、想像力を働かせて作っていく作業は、
芸術と似てるんだろうな。
曲とか一切、作れないので、
作れる人はすごいなぁと思うし、
そういう人が、料理を作るのがうまいんだと思う。
料理は絵を描くのと同じだというのも聞いたことがある。
私は芸術的センスが全くないので、
料理も芸術と言われると、とたんに自信がなくなり、
レシピ本を見たくなってしまう。


でも、最近は、時間があるので、
適当にあるものでって感じで、
味を想像していろいろ作るのが好きになった。
すごく自分が変わったなぁと思う。
料理によって、赤ワインや白ワインを入れて煮込んだりすると、
わくわくしてしまう。
お酒が好きだから???
あと、ローリエとか、ナツメグとか、
中華だと甜面醤とか豆板醤とか、
調味料を組み合わせていくと、どきどきする。
レシピ本を無視したにも関わらず、
美味しかったときの爽快さ。


今、芝居を作ってないからこそ、
何かすごく創作したくなるんだろうな。
この感じ、大切にしようと思う。
この休みが終わると、
今年も流れるように進んでいくのだと思う。
だから、いまのうち、
自分の中のやりたいことをしっかり見つめて、
正解のないことをたくさんやりたい。 つづく


今日のごはんは誰かに食べさせたいほどおいしかった。
ひとりが余計にさびしくなるのが料理というもの。(独り言)


恋することはいつものこと [日記]

あんまりくよくよしない人が落ち込んでたり、
悩みなんかなさそうな人の心がはちきれそうになってたり。
いつもは背筋をぴんと伸ばして、
みんなのことを明るく照らしている人が、
ふと、自分に弱音を吐いてくれると、
どうしても何が何でも、力になりたいと思う。
私にとっての恋とか、片想いって、
そういう感情。
普通の人は恋って言わないのかな。
そんなんだったら、自分が何人いても足りないし、
何人の人のことが好きなんだろうってことになるし。
でも、私にとっては、
生きてると生まれてくるたくさんのめんどくさいことや、
どうしようもなくくだらない幸せな瞬間のこととか、
いろんなことを、
ふたりで裸になって話せることが、
1番大切で、
そういう時間が心地よいと、
その人を好きになるんだなと思う。


1999年、まだパソコンがひとり1台ではない時代から、
ここで文章を書いてきた。
それは、先輩のHPの中の1コーナーで、
だから、自分のページではなかった。
2000年になって、自分のHPというものを、
独立して創っていただいた。
そのときは、えらく感動したものだ。
それから、数年して、
たくさんの人が自分のブログをもっている時代になった。
今、2010年現在は、何をしているかを、外出先からでも、
全世界につぶやける時代になっている。


昨日、何をしたのかとか、今、何をしているかとか、
私は、そういうことを書きたくて、
この「ひめごとおかうち」をはじめたわけでない。
字が上手に書けない頃から、
自分の気持ちを文章にして書くのが好きだったから、
舞台上で演じるだけでなく、
書くことで何か表現できたらいいなと思って、書きはじめた。
だから、私は毎日は書かない。
もちろん、書こうと思ったら、書けるわけで。
日記というわけではなく、活字で何かしらを表現して、
読んでくださるあなたに届けてみたいと思っているから。
劇団のSNSには、毎日のように書いている。
そっちは、写真とかも載せる日記。
つぶやいたりも始めた。
それらは、もっともっと気楽に届ける文章。


もちろん私はここに自分の思ったことを正直に書いている。
自分なりに。
でも、思ったことをそっくりそのまま書かない。
書かないようにはしている。
まだあんまり世の中の人が日記を公開したりしない頃、
ここで書くことにいちいち批判が届き、
それがとても辛かった。
何のために誰のために書いているのかわからない時期もあった。
本当の気持ちはやっぱり書いてはいけないのかな。
嘘やきれいごとを、何のために書くのだろう。


ときどき、身近な人に、あれはどういうこと?
知らないうちにどんな恋をしてるの?みたいなことを聞かれるけど、
だから、あれがこうで、
そうだから今回は、こういう表現をしたって説明すると、
ははぁ~んってことになったりしてきた。
わかる人にはわかる内容だったり、
私の恋愛事情をすべて知っている、
姉や母親が読んでも、はてなって内容だったりもする。
私はちょっと変わってるので、
人を好きになるなり方も、
たぶんだいぶ変わってるので、
いろいろ心配かけてるかな。
へんな心配かけてごめんなさい。


でもね、これだけはちゃんと本当で、
いつも私は恋してる。
恋することはいつものこと。


人に腹を立てるとか、いやな思いをさせられるとか、
人を憎むとか、人に憎まれるとか、
悲しい、不安だ、淋しい、苦しい、
自分の心がマイナスな感情に溢れてしまうこともあるけど、
そういうときも、表現する欲求がむくむく出てきて、
文字にすらすらなってしまうこともたまにあるけど、
最近の私は、とにかくプラスの感情が、
どばぁ~~~っと溢れて、
文章を書きたいなぁと思っている。
誰かを想って、
片想いかもしれないけど想って、
幸せに生きてみると、
あら、不思議、
人を好きになるようなことばかりな毎日。
それだけ、私の周りには素敵な人がいっぱい集まってくる。


恋するといいことしか起こらない思う。
振られて泣いても、
その人を好きになれて、出逢えて、よかったと思う。
そしてまた、出逢うために振られたんだと思うような、
新しい出逢いがやってくる。


恋する未来は明るい未来。
幸せだったり弱音を吐いたり、
恋したり恋されたり恋したり恋したり。
何でもいいから感情を動かすと、
いいことが起こるような気がするんだ。
たぶん、ね。   つづく


人がどこで何をしているのかわかりやすい時代、
片想いの女の子はそれでいろいろわかって傷つくこともある。(独り言)


ふわふわなじかん [日記]

自転車でのんびり進んでいて、
道端にお財布みたいな物が落ちていたから拾った。
ちょうど長財布くらいの大きさの白い革の表紙の手帳だった。
ぼんやりとしたお休みの1日だったので、
時間がたっぷりあったから、
落として困っている人の顔を思い浮かべ、
迷うことなく、そのまま、交番に持っていった。


届けに、自分の住所を書いたりして、
おまわりさんと中身を確認。
たぶん、若い男の人の物だと想像できたが、
連絡先はすぐにはわからないようだったので、
あとはおまわりさんにおまかせした。


この持ち主がわかったら知りたいですか?
あなたの情報をお知らせした方がよいですか?
このお財布の権利を放棄してよいですか?


当然な質問をいろいろされ、紙に、丸をしていく。
いや、結構です。
それも、結構です。


それがお財布でお金が入っていたりしたら、
いろいろもっとめんどくさいことになったけど、
たくさんのことが書き込まれた本人だけが必要な手帳だったので、
持ち主が見つかっても見つからなくても、
もう私には関係のないことだけど、
もしも、と想像すると、
こんなことも縁なのだなぁ~と思った。
漫画の世界のような出逢いもできてしまうような。


稽古中や公演中はたいてい時間に追われて過ごしている。
誰かの落とし物を拾う時間の余裕もないし、
それ以前に、
たぶん、道端に落ちているものなんか気付かないかな。
心の余裕もないから、
そんな誰かのための心配りも忘れて、
そんな縁も見過ごして、
私は生きているんだな、いつも。


今、1年でふいにぽっと生まれる、お休みの時間を過ごしている。
お洗濯や掃除を、のんびりして、
夕ご飯を考えたりしながら、のんびりブランチをしたりしている毎日。
こんな時期だけは、
サラリーマンの疲れて帰ってくる旦那様を、
家事を一生懸命やりながら笑顔で待つお嫁さんが、
すごく自分に向いているような気がしちゃうんだけどね。


新宿の丸井の中のお店で店長をやっている友達がいる。
ここ3年くらいは、その友達が私の洋服を選んでくれていて、
あれとこれを持ってるから、これを買い足して、
という私のクローゼットの中身とのコーディネートまで考えてくれている。
店中の新しく入った洋服を試着したりして、
いつも楽しい時間を過ごしていた。
彼女の方は、私の芝居を彼氏と観に来てくれる。


その友達が、結婚のため、退職することになり、
私は、最後の日に遊びに行った。
花束を持って。
これからは、彼女のお店だけじゃなくて、
デパート中を見たりして、
一緒に買い物をすればいいんだと思うから、
もっと楽しみになるけど、
でも、新しい丸井になるときの大変そうな様子などを見て、
ずっと応援してきたので、
ちょっぴりさびしくもあり、
でも、おつかれさまが、当日、直接会って伝えられて、
逆に私の方が幸せな気持ちになってしまった。
誰かの新しい出発の時を見守れること。


ふわふわとした時間を過ごしていると、
ふわふわとしあわせがやってきて、
ふわふわと包んでくれる。


だから、きゅうきゅうとしたスケジュールの中でも、
怖い顔をしたりしないで、
ふわふわと生きようと思う。


あまり歩かない街を歩いて、
初めて入るカフェで、
カフェラテを飲んだり。
今まで、意識しなかったことを思ったり。
自分のことより、
もう少し誰かのことを想ったり。


白い手帳は持ち主の元へ帰ったかな。


あれもない、これもないと思うより、
ふわふわと今を過ごしてみよう。
誰かが落としたものを、
何も考えずに拾ったりしながら。
ふわふわふわふわ。
そしたら、自分がピンチの時、
たぶん、誰かが拾ってくれる。
ひととひととはそういうもんだと私は思う。


だから、ふわふわした笑顔で毎日を。 つづく



怖いくらい時間がある。(独り言)



時の神クロノスさまへ [日記]

クロノスに出逢って5年。
その間に、4作品に出演させてもらった。
いろいろなことがあった5年間だったけど、
時の神、クロノスにとっては、5年なんて、
まばたきするくらい一瞬の時間なのかもしれない。


タイムマシンがあったら戻りたい過去があなたにはありますか?


お客さんのアンケートを読んでいて、
クロノスに乗ってマイケルを救いに行きたいというのがあった。
あぁ・・・と思った。
マイケル・ジャクソンを救えたら、もっともっと彼を見ていられたのに。
でも、あれは彼の宿命で、ロンドン最終ツアーが出来なかったことで、
映画が全世界で大ヒットし、
今まで、マイケルを知らなかった人や、嫌いだった人の心にも、
彼のパフォーマンスや生き様がしっかりと届いたことは、
必然だったのかもしれないと思ってしまう。


大切な人を失い、助けられなかった人にとって、
クロノスシリーズは、大嫌いという気持ち、とてもよくわかる。


私も、今、片想いをしている。
すごくすごく好きだけれど、
どうにもならない。
クロノスジョウンターに乗って、過去を変えることは、
やってはいけないことだと、もちろん思う。
でも、野方耕市のように、タイムマシンを自分で作るほどに、
人を想ったとしたら。
想い続けたとしたら。
それは許されることなのではないかな。
たぶん、許されてよいのだと思う。
たとえそれが片想いで、相手に想いが届かなかったとしても、
そこまで、想うことは、
想い続けることは、
歴史を変えられるくらいすごいことだと思うから。
時の神クロノスは、野方耕市に微笑んだ。
奇跡の微笑み。


「笑ってよ それだけで 優しい言葉はいらないよ
わかってる 身勝手な私を」


野方耕市が自分の作ったクロノス・ジョウンターに乗った後、
こんな歌詞が流れる。
好きな人が笑ってくれたら、それだけでいい。
自分が生きるためには、いろんなことをやらなくちゃいけなくて、
毎日、食べていかなくてはいけないし、
働かなくてはいけないし、
家族を守らなくてはいけないし、
生きるのは格別に大変だけど、
それとは、別のところで、
好きな人が笑ってくれることが大切だってこと、
私は、野方さんに、クロノスに、教わった気がする。


野方耕市さんに想われるとても幸せな役を演じさせてもらった。
好きな人と進路のことで喧嘩して別れて、
その数秒後のシーンでは、好きな人を亡くして後悔して、
自分も死んでいくという役で、
心の中はひっちゃかめっちゃかだったけど、
野方さんが跳んだ後の、笑ってよ、って歌詞を聴きながら、
最後には、とびきりの笑顔で野方くんに会おうと、
毎ステージ、強く強く思っていた。
自分の親友と、幸せになってくださいと言った野方くんの顔。
私は一生、忘れないと思う。
自分とではなく、貴方の大切な人と幸せになってください、
笑ってください、という野方さんの願い。


クロノス・ジョウンターに2度も助けられた人は、
この世界で私だけだと思う。
助けられたことを通して、
私は助ける人の気持ちを痛いほど教わりました。


私たちは、過去に戻ることは、絶対にできない。
私にも後悔することがたくさんある。
小さな決断、大きな決断。
最近の1番大きな後悔は、
キャラメルボックスに私が入らなければよかった、ということ。
は???と思うでしょうが、
幸せな悩みだねと思うでしょうが、
眠れないくらい、真剣に、そのことを後悔した夜がいくつもあった。
でも、周りの人や、ファンの人に、
たくさん励まされて、力をもらって、
今、こうして生きています。
今は、改めて、
劇団に入ったからこその出逢いのあまりの素晴らしさに、
日々、感謝している。
だから、自分の幸せとか、ひとまず、考えずに、
誰かを笑顔にすることを考えたい。
いや、たぶん、それが私の幸せなのだと思うから。
身勝手な私の、ね。


あなたの大切な人と、笑顔で、生きてほしい。
応援してます、心から。
タイムマシンを作るくらい、あなたを想い、
私はいつでも、あなたを助けに行きます。


最後に、天国のキヤマさん、
ありがとうございました。
岡内くん、岡内くんと、笑ってくださった笑顔と、
クロノス・ジョウンターを忘れずに、強く生きていきます。 


時の神クロノスさま、
この世界で必死に生きている人に、
少しずつでいいから、微笑み続けてください。
私も、必ず、笑い続けます。 つづく


終わって欲しくなかった公演が終わった。
私はほんとうに助けられた。救われた。(独り言)


さくら2010 [日記]

あと、何回、桜を見られるのだろう。
大好きな桜の季節が来るたびに思う。
すごく長生きしたら、あと50回くらい。
そうじゃなかったら、10回かもしれないし、5回かもしれないし、
最後かもしれない。


春、1年分の人の想いを背負って、桜は毎年咲き続けている。


桜の下には、この季節だけ人が集まる。
この季節だけ。
死体が埋まっているわけではなく、その変わりに、
その会社の難しい事情とか、
上司への愚痴や、
後輩への苛立ちや、
同期への嫉妬や、
楽しい歌声や、嬉しい悲鳴が、
毎年毎年、蓄積されていく。


会社に勤めたことのない私は、
自分が場所取りだったり、宴会部長だったりするときのことを想像する。
私ならば、あの桜の木の下にする。
大きな大きな、ブルーシートを広げ、先にひとり寝転ぶ。


そんな妄想力豊かな私は、役者だ。
今日一緒に飲んだ、いつも前向きで素敵なアナウンサーさんに、
どんなことがあってもこの仕事を、一生、続けなさいと言われた。
あなたが花開くのは、年老いてからかもしれない。
だから、続ける続けないを悩んだり、
人生に悩んだりするのではなく、
ただ素敵な年の取り方をするだけでよいから、と。


あと何回、桜を見たら・・・・・・


老いる、とは、しわが深くなるように、
気持ちが深くなることなのだろうか。
それだけなのだろうか。


ひとは、毎年、毎年、老いていく。


次の桜の季節には、あなたにはもう手が届かないかもしれない。
だから、今、
あなたの美しい横顔と、今年の桜を、
一緒に心に刻みました。
ずっと、忘れないために。


新緑の季節も、枯れ葉舞う季節も、
今も、
次の今も、
あなたに逢いたい。
苦しいくらい桜の神様に願う。


もうしばらくすると、桜は今年も散る。
思い残すことなく。
来年、再び、逢うために。
恐れずに。まっすぐに。  つづく


少しだけ歩いてお花見をした。今年の桜も思い出に残った。(独り言)


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