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すばらしいせかい [日記]

私はバカだから、未来のことが考えられなくなり、
世界のすべてを見た気になって、
もういいやなんて涙を流したことがあった。
世界が真っ暗に感じてしまうことがあった。


そんなときに出逢った素晴らしい世界の話。


2ヶ月の久しぶりに長い長い休みの間に、
北海道にロケに行った。
いただいた役が、今の自分と少しだけ重なって、
この撮影が終わったときには、その女の子のように、
私はとてもとてもあたたかい気持ちになった。
北海道という場所。
北海道で出逢った人々。
すべてにありがとう。
やきそばの味、忘れません。


私は今まで、純粋に芝居を好きだと思ったことがなかった。
劇場が好きで、客席との一体感が好きで、
身体を動かして全身で表現することが好きで、
音楽、照明、舞台セットの作り出す世界が好きで、
共演者との時間が好きで、
いろんな理由があって、舞台が好きだったけど、
芝居が好きだとは思ったことはなかった。
だから、舞台にずっと関わっていたいとは思い続けていたけど、
役者を一生続けていきたいという風にはまだ思えていなかった。


ほとんど初めてに近い映像の現場で、
じっくり、メインの役を演じさせてもらって、
それはそれは、たくさんの発見があった。
20年くらい芝居に関わってきて、初めての感覚。
とにかく芝居することに、集中できる世界。
ひとつの感情にとことん向き合って、
一瞬の瞬発力で、その感情を自分の心のすべてで表現すること。


とてもおもしろかった。
芝居っておもしろいものだ。
これをずっとやっていきたいと初めて思ったのだ。


舞台では、劇場にいる出演者、スタッフ、お客さん、
みんなで2時間を作り上げる一体感がある。
ドラマの世界は、それと比べると、分業がはっきりしている。
私たち役者は、芝居だけに集中して、
あとは、信頼できるスタッフさんの腕の中に飛び込むのだ。


北海道で出逢ったスタッフの方々が、
みなさん、あったかくて、本当に本当に素敵だった。
現場でみんなで力を出し合って、最高の映像を撮る一体感。
みんながたったひとつの瞬間にぎゅっと集中している。
役者の1番の味方の監督さん、
いつもいつもそばにいてくださるあったかい助監督さんたち、
やさしい眼で素敵な絵を撮り続けてくださったカメラさん、
すっごーいって思わされてばかりだった職人の照明さん、
明るくて力仕事がかっこいい音響さん、
細やかな仕事っぷりにため息がでる美術さん、
ずっとずっとずっと一緒にいてくださった衣裳さんとメイクさん。
初めての現場がこのチームでほんとによかった。
このチームに飛び込んで勉強させてもらえてほんとによかった。
私はいろんなものをいただいた。
素晴らしい世界だと思った。
もっともっと、と思った。


共演した役者さんは言うまでもなく素敵だった。
次の日が雨の予報で、その日にすべてを撮りきりたくて、
朝までかかって、ロケをしたことがあった。
私たちはカレーが好きで、蜘蛛が苦手で、海が好きだった。
ふたりで川の中に入るシーンを朝まで徹夜で撮り、
次の日が、思いがけずオフになり、
私たちは海でサーフィンをしようという話になった。
寝る間も惜しんでディレクターさんと一緒に波乗りに行った。
私はボディーボード。
もちろん、初めて。


波に乗る素晴らしさ。
なぜ波が起きるのかという普段は考えたこともないことから勉強して、
自然と戯れる。
とことん自然と遊ぶ。
初めて会った役者さんなのに、海で一緒に波乗りをする感覚は、
この世のものとは思えない不思議さだった。
人間と人間の自然の中での出逢いを通して、
この世界が素晴らしい世界であることを、
きらきらと実感させてくれた。
北海道の海に、私は感謝の気持ちでいっぱいになった。
素晴らしい世界を教えてくださったTEAM NACS の音尾さん。
ありがとう。


この2ヶ月の休みの間、
それはそれは、いろんな感情に溢れた毎日だった。
いろんなことがあったんだよ。
そんな中、祖母とふたりで暮らしていた家を離れて、
一人暮らしをするために部屋を借りた。
もう10年以上、1年のうちの2ヶ月くらいはホテル暮らしなので、
一人の生活はめずらしくは感じないけれど、
自分だけの家という感覚は初めてだ。
30すぎて遅すぎるとは思うけど、
間違いなく人生の転機がやってきて、
私は今、新たな生活の一歩を踏み出した。
いろんなタイミングが重なって、偶然に出逢った自分の部屋。
とても過ごしやすくて、大好きな場所になった。


ひとりでいると、
もう私なんていなくてもいいんじゃないかと思うこともある。


でも、私がいるかいないかなんて、どうでもよくて、
ここは、素晴らしい世界なんだな。


私の部屋の前に、大家さんが、たくさんの植物を植えてくれた。
オリーブ、ラベンダー、ブルーベリー、シマトネリコ、
セイヨウシャクナゲ、セイヨウイワナンテン・トリカラー、
アベリア・エドワードゴーチャ、クリスマスローズ、オカメナンテン。
見ているだけで、涙が出そうに幸せな気持ちになる。
一緒に生きていこうね。


自然に囲まれて、素敵な人々に出逢って、
なんて素晴らしいんだろう、この世界は。


まだまだ、私の知らない素晴らしい世界が待っている気がする。
私は力強くこの世界に生きよう。 
芝居と自然と人とともに。
出逢ったすべての愛すべき人々に感謝。 つづく


そんなこんなでいろいろあってご無沙汰しました。(独り言)


崖の淵の女の子たち [日記]

透き通るような白い肌の、
約束を守る女の子。
その白さが彼女のすべてを物語る。


数年前、ロンドンのホテルの一室で、
私は隣のベッドの白い住人に言ったんだ。
これを機に敬語はやめない?
同い年なんだから。


あと2年、自分が遅く入団していたら、
もしくは、彼女が2年早く入団していたら、
同期という強いつながりで、
きっとお互いに、もっと力を与え合える関係だったと思う。
それだけが、たったひとつの、
ひとつだけど最大級に悔やまれること。
でも、お互いがこの劇団に入れたのは、
間違いなくそれぞれのタイミングで、
一緒に10年を過ごせたことは、
間違いなく素敵な奇跡だから。


最初の頃は、初めての同級生の女の子、
最後の方は、みんながいなくなる中、
なぜか残ってしまった弱っちい生き残り仲間。
崖っぷち友達。
20代を一緒に過ごし30の誕生日も一緒の年に迎えた。
同じ世代が一緒に行くロンドン研修も一緒だった。
劇団の写真集に載る写真も、みんなは同期で撮れるのに、
私たちは同期がいないふたりで写ったりもした。


最後の最後まで一緒に闘った、
そんな大切な存在がいなくなるとき、
私ももちろんいろんなことを考えた。


モウダメダ
モウスコシガンバロウ
モウダメダ
モウスコシ


でもね、それってきっと、なるようになる。
自分にとってのタイミングがあるはずだから。
そんなことより、彼女から貰ったものを大切に生きよう。


彼女はどんな小さな約束も必ず守る。
私はそんな素敵な子を見たことがない。


誰もが忘れそうな気配りができる。
人のことをしっかり想うことができる。
いつも誰かに何かを差し出していて、
でも自分はなんにももらってない。
人にありがとうとごめんなさいを誰よりもたくさん伝える。
そんな彼女のすごさに、本人は全く気づいていない。
そこがまたすごい。


劇団がとてつもなく大切な宝を失ってしまった悲しみと、
劇団がとてつもなく大切な宝を10年も持っていた喜びを、
今、噛み締めないといけない。


最後に芝居は一緒にできなかったけど、
舞台から降りる最後のカーテンコールは隣だったね。
あなたと繋いだ手からもらった力で、
もう少し私は頑張ってみるよ。
約束する。


敬語、いよいよ、やめよう。
もう後輩じゃないんだから。
約束ね。 つづく


青山千洋は永遠に私のアイドルであり、
死ぬまで私の大切な友達です。(独り言)


しあわせの多数決 [日記]

笑顔で諦めること。
笑顔で大切な人の手を放すこと。
彼女はずっと好きだった人の前から去った。
お互いの想いは通じ合っているのに。
諦めるっていうんじゃないんだろうな。
諦めるって言葉はマイナスの意味に聞こえる。
彼女の場合はもっと前向きな強い強い1歩だと思う。
自分の想いへの決別。
相手の温かい想いからの決別。
自分の力ではどうにもならないことってある。


結局、人の幸せは多数決だ。
自分だけが幸せになっても、誰かがとっても不幸になる場合は、
幸せになんかなれない。
本人たちだけではなく、周りのたくさんの人の幸せを考えられない人は、
本当の意味では、幸せにはなれないんだろうな。


私はへこたれそうだったけど、
カオルさんに助けてもらった。
私には考えられないほど、
強くて明るい人だった。
彼女を今、演じられてよかったと思う。


今の私にこの役が巡ってきたことを不思議に思う。
あ、子供がいる人を好きになった経験はないけれど。


色の話の台詞を言うときは毎回どきどきした。
大好きな台詞。


「人が1枚の絵だとしたらね、きっといろんな色が塗ってあると思うの。
青とか赤とか緑とか、いろんな色がね。
で、自分の絵と他の人の絵を見比べて、ある日気づくの。
あ、この人の青と、私の青は同じだって。
それで、その人の絵をもっとよく見ると、もっともっと気づくの。
この赤も同じだ、この緑も同じだって。
そして、いつの間にかその人のことが好きになってるの」


いつの間にか好きになってる。
なんて素敵な響きなんだろう。
私の場合は、こんな色は見たことがないって思うとき、
その人を好きになるかな。
あぁ、世の中にはこんなに素敵な色があるんだなぁって。


「でも時間が経って、同じ色が全部見つけ終わると、
今度は違う色に気づき始めるのよね。
この黒は私の絵にはない、この白は私の絵にはないって」


だから、私は、自分にない色を相手の中に見つけるよりも、
自分の中にある色を相手に受け入れてもらえないときの方が恐い。
私はあなたのすべてを受け入れられるのにな。
私の考え方はそんなにいやな色?


「でも、絵っていうのはみんな違うのよ。
違って当たり前なのよ。
そのことさえ忘れなければ、何とかうまくやっていけるんじゃないかな」


人と人の出逢いは、色と色の出逢いは面白い。
たとえ、離れ離れになっても、
その出逢いは永遠に刻み込まれる。
出逢ってしまったら、もう元の人間には戻れない。


あの後、カオルさんはどうしたのかな?
と、みんなに聞かれる。
別の人と結婚して子供が生まれてるかな。
たぶん、そうなのかもしれない。


でも、私の想像の中では、
カオルさんが他の人と結婚することは、ありえない。
その方が、先生にとっても、ケンジくんにとっても、幸せだとしても。
ずっとずっと、素敵な本を作り続け、
本を書く先生を、陰の陰で支え続け、
いつか、ケンジくんやケンジくんの子供に、
自分が作った本を読んでもらえたら、
きっと、それだけで幸せだと思う。


なんて、考えは、エゴかな。
でも、たぶん、私なら、そうする。


祈りが、時間をさかのぼることってあるかもしれない。
でも、もしかしたら、さかのぼるだけじゃなくて、
未来へ飛んでいくこともあるかもしれない。
あのときのカオルさんの祈りが、未来のケンジくんに届くこともあるかもなぁ。
未来のあなたも私も、きっと大丈夫だからねって。


そのときは、多数決に負けるかもしれない。
でも、あなたの色と私の色が出逢ったことは、
ずっとずっと消えなくて、
私の絵にはあなたの色が必ず混じる。
そんな素敵なことが起こったのだから、
あなたの未来も、私の未来も、きっと大丈夫。
だから、今の自分を許してあげようよ。
多数決に負けたことも、
多数決なんかをしなくちゃいけなかったことも。
あなたを好きになったことも、
あなたを嫌いになれないことも。


この作品はたくさんのことを想像させられる、
深い深い作品だと思う。
お客さんの頃には、あまりわからなかったけど。
いろんなことを一緒に考えたよ。
ありがとう、カオルさん。  つづく


次は冬です。しばらく充電します。(独り言)


愛有り余るの法則 [日記]

愛されたい、愛されたい、愛されたい。
想いが届かなかったり、
想いがすれ違ったり、
想いを抹消させなくてはいけなかったり、
誰かへの想いがとっても強いとき、
人は、愛されたいと渇望してしまう。
私はこんなに愛しているのに、
どうして、どうして、どうして。


そんなふうに、自分の中にある愛を確かに感じて、
人にぶつけてしまうとき、
特に、無駄に放出しているとき、
そして、その見返りに、
誰かに、愛されたくて仕方ないときこそ、
人は、愛されないものなのだよ。


たとえば、ひとつの恋が終わったとき、
たとえば、距離を置いてみようと思ったとき、
たとえば、好きな人がいないとき、
たとえば、好きな人に好きな人がいるとき、
たとえば、もう自分なんか恋愛できないんじゃないかと思うとき、


そんなとき、自分の中に、
愛が有り余っていると感じる。
残念じゃない。
それは、大変、ラッキーである。
そんなときに、人は最強になれるんだよ。
さぁ、誰を愛そうか。
家族?友人?会社の人?隣に住んでる人?
通りすがりの困っている人?
犬?猫?花?空?
有り余る愛ならば使ってみようか。
思ってもみなかったところに、ちょこっと、差し出してみようか。
勇気を出して。
だって、せっかく余ってるんだから。
最強なんだから。
毎日毎日、自分の中に湧いてくるものを。
誰かの手を握ってみよう。
誰かの背中をさすってみよう。
誰かにとびきりの笑顔を見せよう。
何かの役に立つかもしれない。
誰かの力になるかもしれない。
もしかして誰かの心に少しずつ響くかもしれない。


そんな風に、愛が有り余っているとき、
人は、愛されるのだと思います。


愛有り余るとお返しに誰かの愛で満たされる。
結局、愛は明日も有り余る。 つづく


神戸公演が終わり、名古屋にいます。
ご無沙汰だったなぁ~。
身も心もとても元気になったわけ。(独り言)


笑進笑明 [日記]

時間は優しいと私は思う。
肌を劣化させ、シワを増やすし、
残酷だと感じることもあるけど。
若ければ若い方がいいことはいっぱいあるさ。
でも、人との出逢い、
これだけは生きている時間がくれるかけがえのないものだろう。


笑進笑明。
この言葉に出逢えたことも。


この世からいなくなりたい。
その前に大切な人たちに手紙を書かなくちゃと思ったことが1度ある。
1度が多いのか少ないのかはわからない。
今、思えばなんてアホなことを考えたのか、と思うけど。
大切なものを見失いかけることは誰にでもたまに起こる現実。
私は最後にやるべきいろんなことを考えて、
でもそのとき、いろんな人の顔が浮かんで、
その人たちに会って話がしたくなって、
ありがとうを言いたくなって。
じゃあ、明日からそれをやればいいやと思って、
結局、次の日の朝を迎えた。
そして、舞台に立ち続けている今がある。
ありがとうを胸に。


恵まれているくせにと人は笑うだろう。


恵まれているか恵まれていないか。
誰が恵まれていて、誰が恵まれていないのか。


天に審判がいるのかはわからないけど、
それが決まるのは、やはりその人の生き方次第だと思う。
人からどう見えるか、人のことをどう見るかはあるけれど、
自分がどう生きるか、どんな出逢いをするか、
それで恵まれていると感謝できるかできないか。
これがすべてではないだろうか。
いなくなりたいと思った私は確かに恵まれていなかったし、
それに気づいた今はとてつもなく恵まれていると感じる。


大好きな京都の街を、
自転車で走った。
透き通った青い空には真っ白い雲が、
今だけの形で模様を描いている。
風、風、風。
そのとき、ぐるぐると頭を回っていたのが、
しゅん君の言葉だった。


漕ぎ出せ漕ぎ出せ漕ぎ出せ 涙をこらえて
夢に明日に、未来へ


日浦駿介君の作詞した歌に出逢ったのも、
出逢いと出逢いとそのまた出逢いがくれた偶然。
これを必然と呼ぶのだろうな。
その奇跡の出逢いの積み重ねを思うと、
私は涙が止まらなくなる。
ありがとう。
すべての出逢いに。


しゅん君は高知にいる書家。
家族性痙性マヒという進行型の難病と戦っている。
今の私なんかがしゅん君のことをここにはまだ何も書けない。
だけど、ここに来てくれるあなたに、
是非、しゅん君のことを知って、出逢ってほしい。


明るく笑って進もうぜ。


しゅん君の力強い言葉は、
偶然にも同じ時代に生きている私たちにきっと響く。
私も一緒に生きようと思う。
明るく笑って。


いつか必ず逢いに行きたい。
またひとつ生きる理由が見つかった気がする。  つづく


今日からあなたも笑進笑明プロジェクトの一員です。(独り言)



http://www.shoushinshoumei.com/


すべてが必然 [日記]

役者という仕事を選んだことを、
これほど恐ろしいと思ったのは、ここにきて初めてだった。
舞台の上では自分の平凡な人生では起こらない出来事が起こる。
それを体験し感じられることは面白いなんて思っていたけど、
そんなのはとんでもない。
普段は、劇的な出来事はそうは起こらないから、
舞台の上で役者は、その感情を想像して演じなくてはならない。
神様はその手助けをしてくれる。
しかし、神様ありがとう、なんて素直には喜べないのだ。
このところ、舞台の上で涙を流す公演ばかりが続いている。
おかげで自分の日常までが、なぜかどんどん劇的になり、
今思えば、あの役のこの感情のために、
神様が私の人生を動かしたんじゃないか、
そう思うことが増えてきていた。
すべては必然なんだと思えば思うほど、
私にはあたたかな日常的な幸せなんて、
もう神様はくれないのかもなぁと思った。


さぁ、
あなたは舞台の上で輝きながら生きますか?
それとも逃げ出して舞台から降りて死にますか?


12年目の春公演が終わった。
11年前の春に私は運命の出逢いをしてしまった。
それから暴力的に過ぎていってしまったいくつもの春。
無駄にしたり、充実させたり、積み上げたものを壊しながら、
少しずつ前へ進んできたつもりだ。
この春に辿り着くために生きてきたのだと思う。
そして、また次の春に辿り着くために、
私は自分にとって必然である出逢いや別れや再会を繰り返し、
苦しみや悲しみや、優しさや、
孤独や愛情や、幸福感や喪失感を抱えて、
ひたすら無理やり、あごをあげて、前を向くのだと思う。


言葉にするのは難しいけれど、
ひとつの劇団の中で、ずっと11年芝居を続けてきて、
この春は自分にとっての大きな大きな、
区切りのような、けじめのような舞台だった。
実際、書いてしまうと、どの言葉も違うんだけど、
この舞台で何かが終わるのではなく、
あんたは今まで何してきたの?と試される、
いよいよ試験や本番がやってくるみたいな、
そんな緊張感溢れる公演だった。
入団したときから、
心の片隅にあった小さな目標や夢。


さぁ、今、闘わずに、いつ闘う!


その闘いは想像以上に厳しいものだったな。


今回の公演では、自分の大切な愛する人のことを、
自分には何もできなくとも、遠くから、
そっとそっと見守り、祈るという感情を教えてもらった。


秋沢も純子も真帆もそれぞれ、見守っていた。
今の私にはそのことが、
いかに辛く、いかに空しく、いかに幸福かが、
少しだけわかる。
神様が必然的に教えてくれたから。
だから、この舞台の上にいられたのかなと思う。


狂わないように、狂わないように。
いろんな意味で狂わないように。
動きや台詞のきっかけはもちろん、
突然違うことを言うんじゃないか、
いや、何も言わない可能性もなくはない。
そもそも私が話し始めなければどうなるのだろう。
ひたすら自分と闘い、音響さん照明さんと息を合わせ続けた。
約140分、58ステージ、私は坐禅をくんでいたみたい。
これは、修行だ。
終わった今、すーっと気持ちが軽くなった。
そして、人と会話できる喜びを舞台の上でも日常でも、
これから噛み締めることになるのだろう。
これも私にとって、必要だったことなのかな?


秋沢里志にはいろんなことを学んだ。
一言では、伝えられないけど。
ありがとう、お兄ちゃん。
クロノス・スパイラルに感謝。
真帆には記憶が残ったと信じている。


里志を演じた偉大な先輩には、
「いってらっしゃい」という言葉と、
「帰ってくるよね?また会えるよね?」という言葉を、
そのままぶつけたい。


そして、一緒に140分を過ごしてくださった、
4万7千人のみなさんに。
どうもありがとう。
この春のこと、一生、忘れません。


すべてのお客さんの近くにいられたこと。
一緒に舞台を見守ることができたこと。
この必然をくれた、神様に感謝。      つづく


さて、今日から、稽古開始。
新しい必然と出逢う。(独り言)


書きたい魂 [日記]

お正月に母が大切なものの入ったダンボールの整理をしていたら、
子供たちの日記帳が出てきた。
日記帳を親が保管するのか?と驚くかもしれないが、
その日記帳は、思春期の悩みがあれこれ書かれたものではなく、
私たちがもっと小さな小さな頃の作品なのだ。
母の大切な宝物。


見るまではそのノートの存在なんかすっかり忘れていた。
その一冊一冊は、幼い私が毎日向き合っていた大切なノートなわけで、
一冊を数ヶ月間かけて大切に書き上げていたのだから、
表紙の絵も見慣れていて懐かしい肌触りをしている。
それを手にとると、ノートを開いていた自分が一瞬で急激に蘇ってきた。


しかし、中を開くと驚く。
なんて恐ろしい字なんだ。
きたない。
それもそのはず、私の一番最初の日記帳には、


おかうちみきこ4さい


と書かれている。
やっと読めるような字で。
たぶん、姉が学校に通い始め、
日記をつけるようになり、
その真似っこをしたのだろう。


4歳の日記を読んで、私は大泣きをした。
面白すぎる。
わっけがわからない。
たいていは1日1つの出来事を、
一生懸命、みみずがのたうち回ったような字で書いてある。
何をしたか、どこに行ったか、
でも、それは遊園地や動物園ではなく、
近所の病院に行ったことや、
家族の誰が風邪をひいたとか、
怒られておしりぺんぺんされたとかが書いてある。
だんだんと字が字に近くなってきて、
少しずつ思ったことが書けるようになってくる。
怒られたときはここが悪かったと反省したりする。
姉弟喧嘩をしたら、なぜしてしまったかを反省したりもする。
日々、反省。
こうやって自分は成長していったのだなぁ。
小学校に入学すると、担任の先生に読んでもらっていたらしく、
毎日の日記に、先生のコメントが書いてあるようになる。
先生にあの時怒られたのはなぜだかわからないと主張したり、
誰それ君にいじめられたときでもけっして泣き寝入りはしていない。


私は日記というものを、
誰かに読んでもらうために書いていたのだ。
最初は、母だったのか、姉だったのか。
そのうち先生になり、確かそれは小学校を卒業するまで続けていた。


一緒に入っていた日記帳でもっとすごいのは、弟のもの。
ひらがなが書けないうちから日記を書いている。
たぶん、姉2人を真似したのか、私たちが無理やり書かせたのか。


私はそうやって、自然に、
文章を書くことを覚え、書くことの喜びを知った。
自分が思ったことを誰かに伝えること。
私が書くことが好きで、
誰かに読んでもらうために書いて、
誰かの心を動かしたいと思うことは、
私の中で4歳の頃に芽生えた感情なのだ。
そんなに幼いときからスタートしたことが、今、自分の根本にある。


姉という存在がいたこと、
ノートと鉛筆を与えてくれた親に、
感謝の気持ちでいっぱいになった。
私にもしも子供ができたら、
ノートと鉛筆を与え、
毎日、今日の日付と曜日とお天気を書いていくことから教えたい。
私がそうだったように。


私は今、芝居をしながら、毎日、
「書く」ということに向き合っている。
今の私の役がひたすら書く役だから。


そんなときに再会した4歳の私。
おまえの書きたい魂はしっかりと今も持ち続けているよ。 つづく


だから、今年に入ってから、PCの前にはなるべくいたくないのです。(独り言)


私の教科書 [日記]

「トリツカレ男」を最初に読んだときには、
素敵なお話だなと思った。
今、思うよりも、ずっと単純に。
3ヶ月、この作品を舞台化することと向き合って、
「トリツカレ男」は生きていく上での、私の教科書になった。
ひとつひとつの言葉を思い出しただけで、心がぎゅって掴まれる。
私の中に、ジュゼッペとタタン先生が教えてくれたことが、
確かに刻まれてしまったから。


人を愛する心。
懸命に生きる心。


その1 氷の上の私たちはいつかきっと転ぶ。
その2 転ぶまではひたすら懸命に前へ前へと滑る。
その3 転ぶ瞬間には自分にとって1番大切な人の名前を呼ぶ。
    そうすればけっして大怪我はしない。


やるべきことがわかっているときは、手を抜かずにやり通そう。
ただ、だれかをもっともっと好きになろう。


原作に出てくるペチカという女の子。
それぞれの心に宿るそれぞれの強いイメージがあると思う。
ジュゼッペがトリツカレる女の子。
もちろん、私の中にも最初のイメージはあった。
でもそれは、結局、私が演じたペチカとは、違ったものになった気がする。
とにかく面白く3枚目で、と演出家からの指示が出て、
台本を考えるところからスタートした。
ロシア語を勉強して、
ロシア人が外国語を話したら、助詞が抜けるのかな、
こんな風になるかな、こうしたら面白いかなと考えていく。
自分が喋る言葉を自分で選んでいく。
鮮やかな彩りの街の中を歩く、ひとりだけの黒い衣裳。
眼鏡をかける。
ジュゼッペがタタン先生として現れたバルコニーのシーンに、
真実味を少しでももたせるために、近眼という設定。
教科書の中のペチカに色をつけていった。
同じ教科書なら自分らしい面白い教科書がいい。


ペチカが見たもの。
辛い毎日の中で、夢のようにマーマと先生に会える色鮮やかなダンスシーン。
自分の目の前を3段跳びで跳んで空の風船を取ってくれる男の子。
イタリアで初めてロシア語を話してくれた男の子の笑顔。
ポケットの中のハツカネズミ。
床に転がったりんご。
タタン先生の写真。
先生が救った子供達からの手紙。
あの日、もらったペンダント。
なぜか急に優しくなったロミオっさん。
お友達が出来て元気になるニーナ。
歌を歌うマーマとピエトロ先生。
冷たい風が吹く中を、たったひとりでやってきて、
はしごに登って話しかけてくれるタタン先生。
左手のホッケーだこ。
そして、バルコニーに見える二人のタタン先生。
タタン先生とおんなじ格好のジュゼッペが、
はしごに乗ったまま、ふわぁ~っと落ちてくる瞬間。
重なっていたタタン先生と離れて、
ジュゼッペだけが自分の腕の中に落ちてくる重み。
幸せなあたたかいパンの湯気。
みんなの笑顔。


私も。
私も懸命に生きていきます。
何かにトリツカレることは、
誰かにトリツカレることは、
すばらしいことだと思う。


この教科書は、私の人生の宝物になりました。
ありがとうございました。   つづく


しばらく、呆然と、休みました。何も出来ませんでした。
いよいよ、今年が始まります。前へ前へと進もう。(独り言)


新しいあしたにむかって [日記]

2007年、気付いたら、走り続けていました。
女優という仕事に、ひたすら毎日、
向き合った1年だったかもしれません。
明日、劇場に行かなかったら、私がこの世からいなくなったら、
いったいどうなるんだろう、
だれからも必要とされていないのかな、と想像しつつも、
いくら泣き明かした夜も、
次の日には、稽古場に、劇場に向かっていました。


Story Dance Performance 「Blue」、
春の「まつさをな」、夏の「カレッジ・オブ・ザ・ウィンド」、
キャラメルボックス・ユース「橋を渡ったら泣け」、冬の「トリツカレ男」。


自分のためではなく、作品のこと、劇団のことを考えた、
真剣勝負の年でした。
その勝負、勝ったか、負けたかはわからないのだけど。
最初っから勝ち負けなんてなかったのかもしれないけど。
どれだけの人の心に響いたのだろう。
でも、この勝負、今年も続くんだな。
さらに、もっともっと。
行くぜっ。


年末は、忙しいことを言い訳に、
昨年はほったらかしだった、お部屋の大掃除をしました。
はっきり言って、2年分くらいの大掃除です。
ゴミ袋が何袋になったかは、言えません。
女の子としてありえない状況です。
毎日、やっている人にとっては当たり前のことだけど。
洋服やいらない紙類を捨てたり、カーテン洗ったり、
窓や網戸を拭いたり、ベッドの下まで掃除して、
ぴかぴかにして喜んでいましたが、
昨年の自分は、そんなこともできない、
どうしようもないだめ人間だったと反省しました。
ほんとに自分のことがよ~くわかった1年でした。
だから、たぶん、今年の私は最強です。


強気に、行きます。
私は負けません。
勝ち負けはなくても、負けません。
素敵な作品をたくさん作りたいと思います。


あなたのこころに残る、生き方ができますように。
2008年もどうぞよろしくお願いいたします。     つづく


2007はほんとに休みがない忙しい1年だったわけよ。
幸せも逃げていくから、掃除もちゃんとするさ、今年はね。(独り言)


31 [日記]

私の小さい頃から好きな数字のひとつに「31」がある。
これは、私の人生を変えたラッキーナンバーだから。
小学校の編入試験の受験番号。
たしか130人くらい受けて、5人くらい合格。
我ながら強運の持ち主である。
31という数字は私に力をくれる。


11月17日に31歳になりました。
30年で積み重ねてきた目に見えないもの、
たとえば、さまざまなことに向かう自分の気持ちとか、
描き始めてやっと見えてきた未来の自分とか、
自分の経験から得た自信とか、
やりたいこと、やってきたこと、やり続けたいこと、いろんなものが、
どんがらがっしゃんと崩れたところからスタートした31歳。
思い通りにならない、どうにもならない悔しさや、
抱えきれないいろんな悲しみから、やっと抜け出て、
最近は、なんて私らしい人生なんだろうと思えている。


31歳のこの自分に、
今、この芝居があってくれて、
この役のこの女の子が自分のそばにいてくれて、
自分と一緒に闘っていてくれて、
私は本当に幸せだと思った。
ひとりじゃないってすごいこと。
今を一緒に過ごしてくれている仲間たち、お客さんたちへの、
感謝の気持ちでいっぱいになった。


私もいろんなことが、もっともっともっと好きになれそうな気がする。
その気持ちさえあれば、前へ前へと、強く進める。
たとえ転んでも、その場にしゃがみこんで、嘆いている場合じゃない。


明日は、東京公演初日。
数日前から風邪をひいたのか、旅公演の疲れがたまったのか体調は最悪で、
どうなることかと思っていたけれど、
リハーサルをしたら、どんな薬よりも効くんだな、これが。
舞台に立つことは、私の生きる目的なのかな。


31歳、真っ白な気持ちで。  つづく


生んでくれた両親に感謝。
そして同じ誕生日の弟よ、おめでとう。(独り言)


名古屋公演、神戸公演を観に来てくださったみなさま、
どうもありがとうございました。
東京のみなさま、ただいま。
逢いにきてください。
生きる力、誰かを想う力が絶対にわくと思います。


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