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ルーツ [日記]

私がなぜ舞台女優を志したのか、
ご存知の方がどれくらいいるかわからないけど。
私は、その昔、不良少女だった。
もう15年以上も前の話だから、そろそろ時効を迎えたと思うので、
今日は、そのことを書いてみようかと思う。


私が13歳の頃、知り合った人たちと、
今日、何十年ぶりかに向かい合い、
お酒を飲んだ。
もちろん一緒にお酒を飲むのなんて初めてだ。
当時、私は、その劇団の中でひとり子供だったから。
32歳という年齢に、驚いていたけれど、
みんな揃って、変わってないと言ってくれた。
みきちゃんは、当時から、大人っぽかったからね。
そうか、私は、大人っぽい子供だったのか。


14歳になった頃、小劇場で芝居をする劇団に入団した。
近所で習っていたジャズダンスのスタジオの公演に、
その劇団の主宰の人がたまたま演出をしてくれたのがきっかけ。
私はダンスを愛する子供だったので、
その公演のときに出会ったダンスの振り付けの先生が、
その演出家と一緒にふたりでやっている劇団に、
くっついていってみただけという単純な理由。
私の通っていた学校は私立で、
芸能活動は、もちろん禁止。
「アニー」というミュージカルに出演するにも、
たくさんの会議にかけられ、親も何度も呼び出され、
校長先生に名前も覚えられつつ、
特例として、やっとこさ許可が下りた。
大変だった。
しかも、地方公演は、夏休みの学校行事と重なり、あえなく降板した。
子供ながらに、いろんなしがらみに最初に悩んだのがこの頃だ。


でも、私はめげなかった。
チケットを取り扱ってくれる、
「ぴあ」に名前が載ってしまうとやばいため、
芸名を使っていた。
そして、劇団の公演が学校のある日の場合、
どうにかして学校を休んだ。
私よりも女優であった母に、
その日の朝になると、学校に電話をかけてもらった。
まっとうには無理なので、風邪をひくしかない。
今となっては、
母の学校への電話の名演技があってこその私の人生だ。
すべては、母という偉大なる女優のおかげ。


そんなこんなで、私は中学生の頃から、
大人に交じって、演劇界に身をおいていた日本で数少ない、
変わった少女だった。
学校ではとても勉強ができ、成績のいい、隠れ不良少女だった。


子供の頃、私の前にいた、舞台を愛していた大人たち。
当時は、今の自分の年齢くらいの人たちだったんだなぁ。
みんな、今もプレイヤーとしてこの世界にいる。
タップダンスの世界にいたり、クラウンの世界にいたり、役者だったり。
この人達をあんな小さな頃に見てしまったから、
私は、ずっとずっと、何十年もここにいるのだろう。
私の見てきた舞台人。
面白いことに、同じ世界にいれば必ず出逢う。
2年前の芝居で、ジャグリングをやることがきっかけで、
私の師匠に再会した。
そんな再会があると、不良少女でよかったなぁ~と思ったのだよ。


当時、私に、芝居やパントマイム、タップなどから、
舞台に関するあらゆることまでを教えてくれた、
作家であり演出家でありプレーヤーだった人は言った。
舞台人に必要なのは、体力とリズム感だよ。
うん。
今、舞台人としてこの世界にいる人間として、
とても、共感できる言葉だった。
体力とリズム感。


昔は、一緒にお酒も飲めなかった子供だけど。
今、たまたま、私は13歳の役と向かい合っている。
当時の不良少女だった自分に、今日、再会し、
自分のルーツの面白さに、
あらためて、感動してしまった。


大人の中で必死に、舞台に向き合おうとしていた少女。
当時、自分が一体どんな子供だったのか、
全く、覚えてはいないけれど、
一緒に劇団員をやっていて、芝居を作っていた仲間達が、
みんなそろって言ってくれた言葉。
その変わってないという言葉を、
私は、今、信じるしかないのだろう。
20年経っても変わっていない魂。 


これからも大切に舞台の上で生きようと思う。
嘘をたくさんついても、この世界にいたかった、私の魂。 つづく


もう時効だよね。(独り言)



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