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あけましておめでとうございます。
2011年。

年明けの公演の稽古をしていたら、あっという間に年が明けてしまいました。
今年も特にご報告のないおかみきです。
今年こそは素敵なだんなさまを見つけられたらいいけど、
結婚なんてしたくない気持ちが年々強くなっているという危険な女です。
なんでだー。
盲目的な愛を振りかざされ、愛されてるのに幸せそうでない人をたくさん見たからかな。
自分は上手に人を愛せるのだろうか、2011。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

2010年が終わり、ほっとしています。
ほんっっとーに、あり得ない災難が降りかかってきて、
この2年ほどは、家族にもとても心配をかけたけど、
たくさんの方に、支えていただいて、
なんとかなんとか、歯を食いしばって乗り越えることができました。
これからの人生、もう、いいことしか、起こらない気がする。
今年はいい年になるなぁー、きっと。

いろいろあったけど、とても幸せで、
役者として、とても充実した1年でした。
年明けは大好きなダンスを踊れたし、
おばあちゃん役や、男役にも挑戦できたし、
愛される幸せなヒロインをやりながら1500ステージ目を迎えられたり、
世界一好きな作品に出演できたり。
生きてて今まででいっちばんしあわせだって感じられる瞬間が、本当にたくさんありました。
心がからからで涙なんかまったく出ないくらい苦しんでいたときもあったけど、
それなのに、笑っている時間の方が多かった。
仲間との時間はかけがえのないもので、それはそれは、楽しくて嬉しい瞬間がいっぱいでした。
思い出すだけで、笑顔になる。
ありがとう。

今年も、いろんな役に挑戦しながら、楽しい幸せな日々を過ごしたいと思います。
まずは、今年も踊ることから。
何よりも好きなことをできる幸せを噛み締めて。
舞台を愛して。ひとを愛して。
キャラメルボックス入団15年目の年。

2011年も、あなたと一緒に。 つづく

初日の出を見たい。(独り言)

瑠璃色のこれからの空

「Blue Sky Red Earth」で私が演じさせてもらったのは、
死の淵にいて、そこから自ら身を投げようとしている愛する人、瑠に、手を差し伸べ続ける、璃という役。

この作品をこの時期に一緒にやろうと言ってもらえなかったら、私は今頃、間違いなく舞台女優を辞めていた。
間違いなく。
今、まだ続けようとしているのだから、
こういう気持ちを書いてもあまりいいことはないのだろうけど、
この作品への気持ちを語るには、必要なことなのかなと思うから。
私が何よりも大切にしてきた生きる目的である舞台に立つことを、見失ったときに、手を差し伸べてもらった作品。
本当に大袈裟ではなく、そう決めていた私の心を変えたのは、間違いなくこの作品の存在。
すでに言葉にしていたものをひっくり返すほど、私の気持ちを揺り動かしてくれた。
だから、この作品にはたくさんのたくさんの感謝の気持ちでいっぱい。

脚本を初めて読ませてもらったのは、夏の公演の本番中。
初めての本読みは秋の公演の稽古中。
初めての振り付けは冬の公演の稽古中。
やるって決まったのは、もっともっと前の話。
ずっと、私の心に寄り添っていてくれた。

人に生きたいというエネルギータンクがあるとしたら、ここ数年の私のタンクは、
メモリが増えることなんてあんまりなくて、でも、目の前のやるべきことをまっとうするために、
なんとか、エネルギーを増やしては、少しずつ消費していく日々だった。
だから、今の私に、この役ができるのか、というより、私なんかが演じていいのか、
こんな私がこの作品の持つ強い想いを伝えることができるのか、
こんなにも生きるエネルギーを持った役を私なんかが演じていいのか、
不安に覆い尽くされた鈍色の空の下にいて、怖くて目を瞑ってじっとしていた。

少しずつ、少しずつ、この作品に触れていくうちに、逆に私がこの作品に「生きろ」と言われた。
「生きて」と願う役をやりながら。

今、この公演を終え、魂を込めて踊りきった私の上に広がる空は、とても深い青い色をしている。
瑠と璃に助けられ、瑠璃色に輝く。
大地は、けっして穏やかではなく、これからも赤く燃え続ける。
その中で生きなくてはならない。
自分らしく。
また見えなくなっても、空は、きっと輝くから。

何もないところからのスタート。
この作品のおかげで、私はまたスタートラインに立つことができたから。

踊りながらいろんなものが見えたの。
眩しい景色も、突き刺さるような痛みを伴う景色も。

30年も好きなことを続けてこられた。
ありがとうございます。
またいつか、思いっきり踊りたい。

観に来てくださったみなさん、
観に来られなかったけど応援してくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
もう少し、私にもやれることがあるような気がしています。

一緒に作品を作りあげたキャスト、スタッフのみなさん、
そして、この作品の生みの親、大内厚雄先輩、
ありがとう。
もう少し、恩返ししないといけません。

千秋楽のカーテンコール、舞台の上で、だいすきな、すべてのアルコール飲料の中で1番すきなプレミアムモルツを、
ごくごくごくって飲んだ、あの感動はずっと忘れないだろなぁ。
こんな風に生きられてしあわせだぁ~~~~と思った。
最後だから、もっと真面目なことを話そうと思ったけど、
やっぱり笑ってもらうのが、何よりも好きだし、自分も笑っていたいから。
ただのビール大好きな女だけど、それだけじゃないってわかってもらった公演だったかな。
毎日、ビールを飲んでても、動けるんだ。
30代半ばだけど、ちゃんとやるんだ。
ただの飲んだくれではなかったと見直してくれたお客さんがたくさんいたみたいでよかったです。

小さな幸せを探しながら、感じながら、
またゆっくり歩いてみようと思う。
ふっと、今日はプレミアムだなって思えるような。
きっと、いいことがあるような気がする。  つづく

やっぱり踊ることは何よりも楽しいんだなぁー。それは、4歳でも34歳でも変わらない。(独り言)

これからの3年間

先日、母方の祖母の誕生日だった。
私の年に50を足すと祖母の年になるから覚えやすい。
84歳のお誕生日。
元気に毎公演、舞台を観に来てくれる。
初日と千秋楽に。
杖をつきながら劇場に来てくれる。
最近はやっと目の手術をして、よく見えるようになったみたい。
この間の公演では、やっぱりダンスはいいっ!と絶賛してくれた。

私は1人暮らしをする前は、祖母とふたりで暮らしていた。
おんなじ世界で生きているのに、
私が悩んでいることと、祖母の悩みとは、種類が全く違った。
ぎすぎすした気持ちで帰ってきても、
おばあちゃんの頼み事は、棚の上のトイレットペーパーをおろしてくださいだったりして、
どっちが大変かといえば、トイレットペーパーに手が届かないことのような気持ちになった。
自分にいいとこなんてひとつもないと思ってても、背が高くていいわねぇ~と褒められたりして。
祖母と暮らした時間は、私にとって大切な時間だった。
自分のことより困っている人のことを第一に考えて生きようと思えたのは、
この時間のおかげかもしれない。

そんな祖母に、誕生日に欲しいものを聞いた。
3年日記がほしい。
3年間、使える日記帳で、去年の今日は何をしていたかが一目でわかるもの。
ただし、3日坊主には、どうしようもない日記帳。
今までは5年日記を使ってて、それを見せてもらったら、
きちんと毎日、その日の出来事が書かれていて、私の舞台を観たチケットなんかも挟んであった。
素敵な3年間になることを祈って、ワインレッドの表紙の使いやすそうなものをプレゼントした。

5年も10年もあるけど、祖母は3年がいいと言い張る。
3年すらも生きられるかわからないからって。
ほんとは飽きちゃうからでしょーなんて言って笑った。
1番最初に、私が死んだらこの日記帳はお母さんに使ってほしいって書いたのよって教えてくれた。
私は絶対に3年後の誕生日には、また3年日記をプレゼントしようと思う。
ほら、最初っから5年にしておけばよかったのに、と笑いたい。

なんだか、怒涛の連続公演が終わって、
未来の芝居のことを考えなくていい時間になって、
自分の中で、なにか大きなものが終わった感覚がある。
私のこれからの未来に、あんなしあわせな時間はもうやってこないような、漠然とした不安。
それでもいいと思ってしまうくらい充実し過ぎていた毎日。
ほんとに楽しかった。
もうあんなに楽しいことはないような気がする。

でも、真っ白な3年日記の1ページ目を大事に開く祖母を見て、またはっとさせられた。
50年たくさん生きている人のこれからの3年がこんなに眩しいのに、
自分は何をやっているんだ、と。

祖母の元気なうちに、たくさん会いに行こうと思う。
もし、元気じゃなくなったら、半分くらいは、祖母との家に戻ろう。
そこから稽古場や劇場に通えばいい。

そしたらきっとたくさん日記に登場できる。
そして、挟み込まれる1枚のチケットの重みを大切に。
そんな3年になったらいいな。
祖母のこれからの3年を大切に思い生きる。   つづく

スケジュール帳ですら、毎年6月くらいから真っ白になっちゃう。書く余裕すらなくなるから。今年はまだ買ってないな。(独り言)

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