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ひとはうまれたら、
成長して、パートナーを見つけて、子供を作らなくてはいけない。
日本だとひとりにひとりのパートナーがいて、
そうして、子孫を残していく決まりごと。
もしも、その原則をとっぱらえたら、
男女って区別する見方がなくなったら、
もう少し生きやすくなるのかもしれない。

例えば、男の友達がいて、
なんか、すっごい大事で、
そいつが彼女とのことでめっちゃ悩んでて、
なんか、助けてやりたくて、
でも、日本では、
友達として助けることに限界があったりする。
じゃあ、お前が付き合えよ、
責任取りなさい、みたいな。
で、当然、なによ、あの女ってなるのがオチで。
そういうことじゃなくても、
そう見える、という世間体。

まぁ、今のは例えばの話で、
男と女の間に友情が成立するかといえば、
答えは私にはわからないけど、
男とか女とか、
年上とか年下とか、関係なく、
出逢ったら、生きている間中、
みんな、助け合うべき友だと私は思っている。
家族は必然的に家族だし、
それ以外で、出逢ったなら、
出逢いこそが、もっと偶然で、
だから、友なんだと思う。

きれいごとかよってばかにされるのもわかった上で。
たとえ、どんなに先輩でも、どんなに年下でも、
男でも、女でも、
こまったときには、
普通に自分ができる限り助けるし、
それが、出逢うべくして出逢った、
友だと思うから。

シラノとル・ブレの関係も、
演じれば演じるほど面白かった。

「シラノ・ド・ベルジュラック」という作品の中で、
私はシラノの親友のル・ブレという男を演じた。
シラノという鼻にコンプレックスを持った男の、
すべてをそばで見て、知っている親友。
コンプレックスも、恋心も。

シラノは実在の人物で、
彼が死んだ後に、彼の本を出版し、
シラノのことを後世に伝えられたのは、
ル・ブレのおかげだという。
本物のシラノが同性愛者だったらしいとか、
そういうことはおいておいても、
シラノとル・ブレの関係を考えるだけで、
いろんな想像が広がっていった。

正解は本人に聞かなくてはわからないし、
聞いてもわからないことだと思うし、
実在した人物と「シラノ・ド・ベルジュラック」という作品の中でも、
違いはあるはずなんだけど、
たぶん、ル・ブレは、
世界一シラノを愛したひとだったのだと思う。
本当は男が演じた方がいいに決まってるけど、
でも、女の私が演じなくてはいけなくて、
その意味とか、その良さとかを、
必死に追求していった。

私がル・ブレと辿り付いた答えが、
愛に、男も、女も、関係ないってこと。

この2ヶ月近くの間、
誰よりも近くで、誰よりもシラノを愛していたと思う。

そのル・ブレが、シラノの死に際に、月を指差し、
愛する女のいるシラノにいう言葉。

もうひとりの女の友があそこに迎えにきている。

本当に本当に切なかった。
ル・ブレもなんて素敵な言葉を選ぶんだろう。
自分が女だったら。
でも、女だったとしても、
逆に何もできなかったかもしれない。
男だけれど、そばにいて、
誰よりもシラノを想っていた。
でも、男だから。
友として。

愛について、たくさんたくさん考えた時間だった。

私にもいろんなことがあって、
悩んで苦しんで、
昨年は芝居をやめようと思っていた。
でも、2010年秋の、
この「シラノ・ド・ベルジュラック」に、
舞台への想いをぶつけてみようと思った。
この公演に参加することで、きっと何かが変わる。
神様はいじわるで、しんせつだから、
必ず、生きる意味を与えてくれるのだ。
去年からずっと楽しみで、
近づくにつれてもっともっと楽しみで、
終わった後は、もっともっともっと楽しかった。
本当にこの公演に参加できてよかった。
もしかして、もしかすると、
この公演がなかったら、私は今頃……。

私はいつも作品に、舞台に、
助けられてばかりいる。
観に来てくださるお客さんがいなかったら、
本当に生きられない。
アンケートを読んだりすると、
私なんかより大変な人生を歩んでいる方がたくさんいらっしゃる。
だからこそ、
舞台の上からでも、愛が届くように。
友として。

ありがとう。
シラノとル・ブレと仲間たちとみなさんに。

ひとを愛することって、
素晴らしい。
生まれてよかった。
生きててよかった。
これからも、友を愛して、生きよう。 つづく

今度生まれ変わったら、絶対に男をやりたい。(独り言)

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